またしても「政治とカネ」を巡る旧態依然としたニュースが世間を騒がせています。石破前首相の「10万円商品券」に続き、高市首相も「カタログギフト」を配布していたといいます。
高市氏が当選の自民議員にカタログギフト、政党交付金は使わずと説明(ブルームバーグ)
これほど政治資金への視線が厳しく、透明性が叫ばれる中で、なぜ日本のトップ政治家たちはこの「贈与の儀式」を止められないのでしょうか。
「接待」に頼らない企業
日経ビジネスが報じた、ディスコやワークマンによる「接待・手土産の全面禁止」という決断。ワークマンの土屋氏による**「接待は現場が分からない管理職の『仕事したふり』」**という指摘は、現代日本の急所を突いています。
ワークマン土屋氏「接待は現場が分からない管理職の仕事したふり」 :日経ビジネス電子版
民間企業において、接待や過剰な手土産は、もはや「円滑な取引」のための潤滑油ではなく、意思決定を歪める「ノイズ」です。客観的データで勝負できない者が、ギフトという「情」を介在させて相手を懐柔し、合理的な判断を鈍らせようとします。この本質を見抜いた企業は、不透明な慣習を切り捨てることで、組織の自律性と競争力を取り戻したようです。
欧米が守る「法の精神」と、日本の「ルールの穴」
欧米、特に米国や英国では、公務員のみならず民間同士の接待であっても、それが不当な利益誘導と見なされれば、企業そのものが存続の危機に立たされます。米国のFCPA(外国公務員腐敗防止法)や英国の贈収賄法は、ビジネスが「透明なルール」に基づくべきだという断固たる規範意識の現れです。
一方、日本の政治の世界はいまだに「カタログギフト」という呪術的な贈与につがりついています。本来、政治リーダーは「政策」という物語の質で仲間を募るべきです。しかし、中身のある物語を紡げないリーダーは、手近な「ギフト」を配ることで相手に心理的な負債を負わせ、派閥という閉鎖的な共同体(村の論理)を維持しようとします。「慣習」という言葉でルールの空洞化を正当化さえします。これは「ルールの穴」を突いた、実力勝負からの退却に他なりません。
接待文化に依存する企業人への警鐘
この「村の論理」は、政治の世界だけの話ではありません。いまだに「接待も仕事のうち」と信じている企業人も多いでしょう。
[新連載]ディスコ、バイヤーは接待・手土産全面禁止 関家社長「だから調達に困らない」:日経ビジネス電子版
しかし、今の時代、その感覚こそが組織の「自律」を蝕みます。接待に頼る関係性は、ひとたび「モノ」や「カネ」が途切れた瞬間に崩壊する脆弱なものです。私たちが目指すべきは、不透明な贈与で相手を縛ることではなく、互いのプロフェッショナリズムを信頼し、公明正大に価値を交換する「真の交流」です。
まとめ:隠し立てのない「情報の透明性」を求めて
子曰わく、二三子(にさんし)よ、我を以て隠せりとなすか。我は隠すこと無し。我に行うとして二三子と与(とも)にせざる者無し。是(こ)れ丘(きゅう)なり。 (「述而第七」23)
弟子たちよ、私がお前たちに何か隠しごとをしていると思っているのか。私は何も隠していない。私が行うことで、お前たちと一緒にしないことなど何一つない。それが私という人間なのだと孔子は言いました。
この言葉は、単なる誠実さの宣言という意味だけではありません。特定の利害関係に偏らず、常に**オープンで公正な判断基準(透明性)**を保つという、リーダーシップの本質を説いているのです。
現代においてこの精神を具現化するなら、それは欧米のように「透明性の規範」を明文化し、例外を許さない社会構造を築くことです。裏側でギフトを配って仲間を囲い込むような「隠しごと」がある組織に、未来を託すべきではないのではないでしょうか。
(あとがき) 民間が「昭和の残影」を捨てて世界と戦おうとしている今、政治や一部のビジネス現場が特権的な「慣習」に浸り続けることを、私たちはこれ以上許容すべきではないのかもしれません。透明性は、信頼を築くための唯一の道なのですから。

