衆院選は予想通りの自民党の大勝です。「安定」や「信任」という言葉が並びます。しかし、この結果には、ある種の「底知れぬ危うさ」も感じます。
それは、特定の政党への支持・不支持の話ではありません。この勝利が、日本を覆う**「無謬(むびゅう)性の神話」**をさらに強固なものにし、システムの寿命を縮めてしまうのではないか、という危惧です。
1. 失敗を認められない「椅子取りゲーム」
ピーター・ターチンの提唱した「エリート過剰生産」という理論があります。社会が提供できる「特権的なポスト(椅子)」よりも、それを望む「エリート志望者」が溢れることで、国家の安定が損なわれるという数理モデルです。
今日の日本において、この「椅子」を巡る戦いは、もはや「国家をどう良くするか」ではなく、**「どうすればこの椅子から引きずり下ろされないか」**という保身のゲームに変質しています。椅子を守るための最も強力な武器、それが「無謬性」です。「自分たちは絶対に間違えない」という建前を維持し続けること。なぜなら、一度でも「失敗」を認めれば、それをきっかけにライバル(あるいはカウンター・エリート)から椅子を奪われる隙を与えてしまうからです。
2. 「官僚たちの夏」の残照と、現代の歪み
かつて城山三郎が『官僚たちの夏』で描いた世界では、官僚たちは国家の設計者(アーキテクト)としての自負を持ち、失敗を恐れず理想を戦わせていました。
しかし、現代はどうでしょうか。内閣人事局による一極支配と、「失敗=即脱落」という極端な減点方式。この構造下では、官僚も政治家も、「間違いを直視して修正する」ことよりも、「隠蔽」に全力を注ぎ、間違いがなかったことになりました。
名古屋駅前の再開発が人手不足で頓挫した事実。世界4位の移民大国という現実。これらは本来、政策の「修正」を促すための重要なアラート(警告)でした。
止まる名古屋、深刻な人手不足:『世界4位の移民大国』日本がひた隠すダブルスタンダード - 「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著
しかし、「無謬性の神話」に囚われたシステムは、これらを「想定内」という言葉で覆い隠してしまいます。
3. 「安定」という名の「重い蓋」
今回の選挙での大勝は、この「神話」をさらに強固にするのかもしれません。「これまでのやり方は間違っていなかった」という免罪符が与えられることで、不都合な現実に向き合うインセンティブはさらに失われます。
本来、民主主義の強みは「間違いを認めて、軌道修正できること(レジリエンス)」にあるはずです。しかし、今日の日本は「名(建前)」を守るために「実(実態)」を犠牲にする、歪んだ安定の中にあります。
ターチンは警告しています。エリート層が既得権益の椅子を守るために内向きになり、社会の歪みを放置し続けたとき、国家は「静かな衰退」を通り越し、制御不能な「崩壊」へと向かうと。
まとめ
この「間違いを認められない」という病理は、2500年前の古典の中にも鮮烈に描かれています。魯の哀公から社の木について問われた弟子・宰我(さいが)の越権した回答を聞き、孔子はこう諭しました。
成事(せいじ)は説(と)かず、遂事(すいじ)は諫(いさ)めず、既往(きおう)は咎(とが)めず。 (『論語』八佾第三 21)
「もうできてしまったことは、説明しても始まらない。やり遂げてしまったことは、諫めても及ばない。過ぎ去ってしまったことは、咎めても仕方がない」
一見、孔子が諦めているようにも読めますが、その真意は**「起きてしまった現実(実)は、どんなに言葉(名)で飾っても変えられない」**という冷徹な事実への直視です。
今回の選挙での「大勝」を免罪符にして、山積する「成事(起きてしまった不都合な現実)」から目を逸らし、無謬性の神話に閉じこもることは、この「取り返しのつかない衰退」を加速させることになるのかもしれません。孔子がこの言葉を語った背景には、**「過ちを直視し、改めることこそが、唯一の活路である」**という強い逆説の教えがありました。
「安定」という名の重い蓋の下で、私たちは「成事」を直視し、自らの過ちを改める誠実さを持っているのか。選挙が終わった今こそ、私たちの国日本はその資質を問われていそうです。


