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「創造」が「罪」に変質するとき:ニデック不祥事と、失われた「共通善」を巡る考察

 不適切会計問題で揺れるニデック(旧日本電産)が公表した改善計画。そこには、日経ビジネスも指摘するように、創業者の短期主義が「経理部門」という組織の良心を司る部署さえも侵食していたという、深刻な構造的問題が記されていました。

不適切会計のニデック、改善計画公表 永守氏の短期主義「経理部門も侵食」:日経ビジネス電子版

この事態を、独立研究家の山口周氏が提唱する「組織神学(Systematic Theology)」の視点から読み解くと、一つの仮説が浮かび上がります。それは、組織が特定の「教義(数字や株価)」を絶対視するあまり、現実をねじ曲げてでも整合性を保とうとする**「罪の構造」**に陥ってしまったのではないか、という点です。

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私が見た「現場」と「中枢」の温度差

この仮説は、私の実体験とも符合するのではないか。 かつてニデックとを進めたモータの共同開発の際、ニデックが見せたあの「やり遂げる力」は、間違いなく社会への貢献(共通善)を伴う「創造への参与」でした。

 しかし、その後に私が目にした中国・東莞やベトナムホーチミンの彼らの工場は、世間の「モーレツ」なイメージとは裏腹に、極めて「普通」で冷静な現場でした。中枢(京都・東京)が「株価」のために「異常な熱気」に包まれていた一方で、製造現場にはそれは伝わらず、共通善としての熱量も共有されていなかったようにもみえました。

 中枢が数字のために現実を改ざんする「罪の構造」に陥る一方で、現場はただ淡々と実務をこなす。この**「中枢の狂信」と「現場の冷ややかさ」の不協和音**こそが、共通善なき組織の末路だったのではないか、そのようにみえます。

論語でまとめ:言語の徒・宰我にみる「言葉と実」の乖離

 この「言葉(教義)だけが独り歩きし、実態が伴わない」という病理を論じる際、私は孔子の弟子、**宰我(さいが)**の姿を思い出さずにはいられません。

 宰我孔門十哲の一人で、弁論に極めて優れた人物でした。しかし、孔子は彼が理屈ばかりで実践が伴わないことを厳しく戒め、こう嘆きました。

始め吾、人に於けるや、其の言を聞いて其の行を信ず。今、吾、人に於けるや、其の言を聞いて其の行を観る。(「公冶長第五]10)

 かつての私は、人の言葉を聞けばその行いも信じた。しかし今は、言葉を聞いた上で、その行いをしっかり観察するようになった。

 ニデックが掲げた「すぐやる、必ずやる」という輝かしい言葉。それはかつては誠実な誓いでしたが、いつしか実態を伴わない「巧みな弁論(宰我の言葉)」へと変質してしまったのではないのか。リーダーが発する言葉が「共通善」という実を失ったとき、組織は「朽木(くちき)」のように、内側から崩れていくのです。

結び:選挙という「審判」の場に寄せて

 前回、政治と企業の類似性を論じましたが、今回のニデックの件もその延長線上にありそうです。この問題もまた、一企業の話に留まらないのかもしれません。現在行われている衆議院議員選挙においても、同じ構図が見て取れます。

高市氏のパーティー券「旧統一教会友好団体が購入」 週刊文春報道 [旧統一教会問題][政治資金問題][自由民主党(自民党)]:朝日新聞

「国民のために」と巧みな弁論を振るう候補者が、その裏で裏金議員を優遇し、組織の論理(得票)を優先させてはいないか。私たちは今、まさに孔子宰我に抱いたのと同じ「疑念」の中にいます。

高市首相、党首討論キャンセル 「手痛め治療」遊説は中止せず【2026衆院選】:時事ドットコム

 山口氏は、マネジメントの本質を「組織が何のために存在するのか」を問う営みであると述べています。政治もまた同様ではないでしょうか。

「言葉を聞いて、その行いを観る」。 有権者であり消費者でも私たちの目は、これからの企業やリーダーに対して、より一層の「名実の一致」を求めていくことになっていくのでしょう。言葉を正しく使い、利の前に義(倫理)を置く。その当たり前の誠実さを取り戻すことこそが、混迷する現代社会における唯一の処方箋なのです。

 

 

「参考文書」

ニデックが改善計画 株価至上主義と決別、永守氏は経営に関与せず - 日本経済新聞