2026年1月、衆院選に向けた論戦が熱を帯びるなか、社会では企業の不祥事が後を絶ちません。東大での収賄事件、首都高での談合、そしてプルデンシャル生命で発覚した一連の不祥事。これらは一見、特定の企業や個人の逸脱に見えますが、その根底には現代の組織が抱える「共通の病理」が潜んでいます。
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プルデンシャル生命の不祥事に対し、専修大学の高橋教授は鋭い指摘を投げかけています。「組織が犯罪行為を指示していなかったとしても、それは免罪符にならない」。教授は、同社の「営業成績至上主義」や、個人の裁量が極端に大きい「社風」そのものに課題があると説いています。
「成績を上げた者が正義」とされる無法地帯のような称賛。この歪んだ組織風土は、いまの自民党が直面している状況とも、驚くほど重なり合っていまないでしょうか。
「風」が吹けば「草」は倒れる
自民党は今回の衆院選において、不記載のあったいわゆる「裏金議員」42人を比例名簿に登載することを決定しました。
自民、比例名簿に裏金議員42人登載 石破政権の閣僚3人は下位処遇 - 衆議院議員総選挙(衆院選) [衆院選(衆議院選挙)2026][自由民主党(自民党)]:朝日新聞
高市首相は「不記載があった議員についても、ぜひ働く機会を与えていただきたい」と述べ、選挙という「数字」で勝つことをもって禊(みそぎ)とする姿勢を鮮明にしています。
この「結果を出せばプロセスは不問」という姿勢は、前述した企業の不祥事構造と全く同じです。2500年前、孔子はリーダーと組織の関係をこう例えました。
「君子の徳(倫理)は風なり、小人の徳(倫理)は草なり。草、これに風を加えれば、必ず伏す」(論語「顔淵第十二」19)において、 (リーダーの倫理観は風であり、構成員の倫理観は草である。風が吹けば、草は必ずその方向になびくものだ)
リーダーが「ルールを破っても、最終的に議席や売上を確保すれば称賛される」という「風」を吹かせれば、組織という「草」は一斉にその方向へ、つまり「倫理なき効率主義」へと倒れ込みます。不祥事は個人の責任に帰すものではなく、リーダーが作り出した「風」の結果に他なりません。
「利」と「倫理」の逆転現象
なぜ組織は、これほどまで容易に「倫理」を失うのでしょうか。孔子は、行動の指針がどこにあるかを厳しく問いました。
「利に放(よ)りて行えば、怨(うら)み多し」(論語「里仁第四」12) (利益だけを基準にして行動すれば、人々の反発を招き、社会との軋轢を深めることになる)
現代の組織におけるこの逆転現象を、次のような視点で捉え直すことができます。
利益・議席(利) > 社会的倫理(義)⇒ 組織の構造的腐敗
企業が「売上」を、政党が「議席」を唯一の正義(利)としたとき、そこに「倫理(正しい道)」が入り込む余地はなくなります。高橋教授が指摘する「成績至上主義」への称賛は、まさにこの「利」が「倫理」を飲み込んだ瞬間を指しています。
業務改善命令は、政治にも下されるのか
プルデンシャル生命に対しては、今後、金融庁による厳しい業務改善命令がなされる流れになると予想されます。不適切な営業方法や管理体制を改め、組織の「風」を強制的に変えるための措置です。
では、政治の世界における「業務改善命令」とは何でしょうか。 リーダーが自浄作用よりも「数の確保」を優先し、組織の倫理を置き去りにした今、その命令を下せるのは、もはや監督官庁ではありません。私たち有権者だけではないでしょうか。
まとめ
「働く機会を与えてほしい」という言葉が、不誠実な行為の免罪符であってはなりません。成績を上げた者が正義とされる「無法地帯」を良しとするのか、それとも「利」の前に「倫理」を置く組織へと作り変えるのか。
企業の不祥事を厳しく批判するその眼差しを、私たちは自分たちの代表を選ぶ尺度としても、等しく持つべきではないでしょうか。風がどちらに吹くのかを決めるのは、今、私たちの一票に委ねられています。

