「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【提言】「年寄りがつくった未来でいいのか」柳井正氏のカウンター:古い未来を「破壊」して参画する

 連載の最後に、私たちは一つの巨大な問いに突き当たります。 ファーストリテイリング柳井正氏が、日本経済新聞を通じてα世代へ送ったメッセージ——。

ファーストリテイリング柳井正氏、α世代へ「年寄りがつくった未来でいいのか」 - 日本経済新聞

「年寄りがつくった未来でいいのか」

 この言葉は、単なる成功者からのエールではありません。これまで私たちが分析してきた「古いOS」という名の呪縛、その当事者である世代からの、切実かつ残酷な**「引導」**です。

 

 

「期待」という名の無責任を焼き払え

 大人はこれまで、SDGs教育を受けた次世代に対し、「君たちが社会を変えてくれる」と期待を寄せてきました。しかし、それは裏を返せば、自分たちが作り上げ、停滞させたシステムの不始末を若者に押し付ける**「責任の丸投げ(ジェネレーション・ダンピング)」**に過ぎませんでした。

 柳井氏の問いは、その欺瞞を暴きます。 「年寄りがつくった(=家計を犠牲にし、デジタルで民意を欺き、利他性を搾取する)未来を、そのまま受け入れていいのか?」と。

 若者たちが選んでいる「静かな抵抗」や「超合理的な回避」は、確かに賢い生存戦略です。しかし、柳井氏は挑発します。**「その賢さで、古いOSの延命を手伝ってどうするのか」**と。

若者の「超合理性」を新OSのエンジンに

 SDGs 2030年のゴールを達成へと導くもの。それは、彼らの持つ「超合理性」を、自分たちの防衛のためではなく、**「社会の再起動(リブート)」**のために解放することです。

  • 「善いこと=得」のシステム実装エシカルな行動が、精神的な満足だけでなく、経済的・時間的にも「最も合理的」になるようルールを書き換えること。SSBJ基準の義務化を、単なる報告書作成から「不誠実な企業を即座に市場から排除する自動フィルター」へと進化させる必要があります。
  • デジタル・デモクラシーの再構築: 政治がデジタルを「欺瞞」に使うなら、若者たちが自らデジタルで「代替システム」を作るべきなのかもしれません。既存の政党に絶望するのではなく、NYのマムダニ氏のように、デジタルを「生存権を取り戻すための武器」として使い倒すことも求められそうです。
  • 無自覚な加害性の解体: 中間層である30代・40代は、河合薫氏が説く「老害化の罠」を自覚し、古いOSの守護者であることを辞めるべきです。若者に「教える」のではなく、彼らが古い未来を「破壊」するためのスペースを空けること。それこそが、今できる最大の人的資本経営ではないでしょうか。

 

 

古い未来を壊し、新しい現在を創る

 SDGsネイティブの憂鬱。その正体は、高性能なアプリ(次世代)が、欠陥だらけのOS(旧社会)に無理やり適応させられていることへのストレスではないでしょうか。

 しかし、もう適応する必要はありません。 柳井氏が言う通り、「年寄りがつくった未来」を拒絶し、破壊し、自分たちの合理性に基づいた「新しい現在」を勝手に作り始めましょう。

誰一人取り残さない」という理想は、誰かに与えられるものではなく、自分たちが最も生きやすい仕組みを設計した結果として、自然に達成されるべきものでしょう。2030年のゴールは、Z世代やα世代が「古い呪い」を解き放ち、その圧倒的なデジタルスキルと倫理観を「自分たちの利益」のために解放した時、初めて現実のものとなるのかもしれません。

——その真価を問うのは、もはやシステムではなく、彼ら自身の手の中にあります。

論語でまとめ

道行われず。桴(いかだ)に乗りて海に浮かばんか。我に従う者は、それ由(ゆう)かと。子路、これを聞きて喜ぶ。子曰く、「由や、勇を好むこと我に過ぎたり。材を取る所無し」と。(「公冶長第五」7)

 もうこの国では正しい道が行われていない。ならば、いっそ筏に乗って海の彼方へ行こうか。そのとき、私について来るのは子路だけだろうなと孔子は言いました。子路はこの言葉を聞いて、「先生に選ばれたのは自分だけだ」とうれしがった。子路の早とちりを見て、「子路は勇気を好む点は私より勝っているが、度胸はあっても思慮深さに欠けるところがある。だから材料にならない」と孔子は言いました。

  孔子子路の勇猛さを評価しつつも、彼の資質に対する複雑な思いや、さらなる成長を促すための期待を込め、この言葉になったといわれています。

 周りとの繋がりがより加速する中、「期待」は時に重荷になるものです。「期待を他人に投げるのではなく、自分への信頼に変える」、それがと孔子のスタイルです。

「往(い)く者は諫(いさ)むべからず、来(きた)る者は猶(な)お追うべし」、過ぎ去った過去はもう悔いても仕方がない。しかし、これからやってくる未来については、自分の努力次第でどうにでもなる。 過去に囚われず、「これからどうするか」にエネルギーを注ぐべきだ、孔子は「未来」についてそんな風に考えていたようです。

 

「参考文書」

飲み会は仲良くなってから?昭和上司とZ世代せめぎ合い 職場の飲み会どうする 識者に聞く - 日本経済新聞