「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

SNS時代の『大衆の反逆』——自己満足と直接行動の果てに

 トランプさんがニューヨーク・タイムズ紙を名誉毀損で訴えましたが、その訴状が裁判所によって却下されたそうです。

トランプ氏がNYタイムズ訴えた名損訴訟、痛烈な判決で却下される 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

「不適切かつ許容できない」、美辞麗句、繰り返されるトランプ氏賛美、そして85ページにも及ぶ冗長さに異議を唱えたといいます。

「訴状は、誹謗(ひぼう)中傷や罵詈(ばり)雑言のためのパブリック・フォーラムではない」「相手に対して怒りをぶつけるための保護された場でもない」。(出所:AFPBB NEWS

 裁判所は、28日以内に訴状を40ページ以下に修正し、「専門的かつ威厳ある方法で」提出することを求めたといいます。

 

 

 トランプさん、メディアを攻撃するだけでなく、事あるごとに、大衆を扇動して分断化を助長しているようにもみえます。現代の異常性のようなものを感じます。

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『大衆の反逆』が現代に問いかけるもの

 オルテガが『大衆の反逆』を執筆した時代に近づいていそうにも見えます。本が書かれた1930年はファシズム共産主義が台頭する時代でした。その背景に、技術や自由主義の発展によって「大衆化」が進み、文明が退廃、文化や政治の質が低下し、人々は議論や対話を軽視、自らの意見を問答無用で押し通すようになったといいます。専門家は自らの殻に閉じこもり、社会全体を俯瞰する視点を失い、これもまた大衆人化してしまったそうです。オルテガは、こうした風潮に危機感を抱き、「大衆化」に警鐘を鳴らすことになります。

スマホの中の私たちは、オルテガが90年前に描いた『大衆』そのものかもしれない........」

 彼が描いた当時の「大衆」と、SNSや情報過多の現代社会に生きる私たちの行動と心理には驚くほど共通しているものがありそうです。

オルテガが警鐘を鳴らした「大衆」とは?

「大衆」とは、階級や職業ではなく、「精神的な態度」だとオルテガは主張し、「平均人」なようなものといいます。その特徴は、「過剰な自己満足と特権意識」、 文明の恩恵を当たり前と考え、自らの権利ばかりを主張し、義務や責任を果たそうとしない。凡俗であることに満し、自分が人並みであることに何の疑問も持たず、それに甘んじている。理性的な対話を避け、力や感情で要求を通そうとする姿勢もその特徴に上げ、文明によって生活水準が向上した結果、苦労を知らず、自制心に欠ける振る舞いをするようになったとします。現代を生きる私たちと共鳴するところがありそうです。

 

 

現代社会に蔓延る「大衆化」の症状

 SNSでの「いいね」や承認欲求、エコーチェンバー現象に陥る人々、デジタル時代がオルテガの言う「自己満足」を増幅させていそうです。AIやビッグデータなどテクノロジーが進化する一方で、その倫理的・社会的影響を深く考察しない技術者(専門家)が増え、特定の情報しか信じない人々も増加しています。SNSでの炎上、デマ拡散に誹謗中傷、議論を尽くさずに感情的に相手を攻撃することが日常化しています。こうした行為が民主主義を蝕んでいるにもかかわらず、政治がまたそれを助長しようとしています。

オルテガの思想から学ぶべきこと

 オルテガは「大衆」の対比として「貴族」をあげます。この「貴族」も「大衆」と同様に、富や家柄とは関係のない「精神的な態度」といいます。自己を律し、困難な課題に挑戦し、社会全体に責任を負う者を「貴族」とします。

 現代においても通じるものがありそうです。「批判的精神」と「自己責任」、氾濫する情報の中から真実を見抜く力、そして社会の恩恵を享受するだけでなく、その維持に貢献する責任を持つ。異なる意見を持つ人々と対話し、共通の価値観や社会の目標を見つけ出すことに努力し、「対話」の価値の回復に努めようとする。こうしたことを実践できる人が現代の「貴族」なのかもしれません。

 

 

論語でまとめ

君子は坦(たん)たらんとして蕩蕩。小人は長たらんとして戚戚(せきせき)たり。(「述而第七」36)

 君子は公平であり、ゆったりしている。小人は他者よりも長ろうとしてこせこせしてると孔子はいいました。「君子」は「貴族」、「小人」は「大衆」というところでしょうか。

「徳の脩(おさ)まらざる、学を講せざる、義を聞きて徙(うつ)る能(あた)わざる、不善改むる能わざるは、是れ吾が憂えなり」とも孔子はいい、学び続けることの重要性を説きます。それが「君子」と「小人」を分ける差になのかもしれません。

 

『大衆の反逆』を乗り越えるために

「あなたにとって、オルテガの言う『大衆』とはいったい誰のことだろうか?」

 ポピュリズムが台頭する現代でも、オルテガの洞察は色あせません。彼の指摘は、現代社会における安易な同調圧力や、文化に対する無関心にも通じるものではないでしょうか。私たちが「無責任な大衆」に陥るのを防ぐためには、一人ひとりが自らの精神的な態度を見つめ直し、社会に対して責任を持つことが不可欠のようです。

 自民党の総裁が始まりました。現代の政治家が「大衆」の親玉のように見えてきます。

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 これもまた現代の異常性のひとつではないでしょうか。

 

 

「大衆化」について、オルテガは警鐘を鳴らしましたが、その後世界は戦争の時代に突入し、混乱し、多大の犠牲を払うことになります。現代もまた同じ道をたどるのか、今その分岐点にあるのかもしれません。