生きにくい社会になっているのではないかと思う今日この頃です。幸福に生きる権利がどんどん奪われているのではないかとも感じたりします。国の経済は停滞し、その苦境を抜け出るためには個人の努力が欠かせないといわんばかりに、あれやこれやと権力者から押しつけられている感が否めません。目を外に向ければ、周辺諸国はお怒りのようで、物騒なことをしでかし、それに驚いては防衛力強化だの安全保障強化と叫んでは、これまたあれやこれやとまた押しつけられる始末です。もっと自由な国であったはずなのに、何か全体主義に近づいていないかと危惧し、嫌っているはずの中国やロシアに近づいていきそうで心配になります。
夢や希望は叶い、努力はかならず報われ、心に強くそう願えば何でも実現するはずなのに、現実にはそうならず「呪い」となって自分を苦しめるようになってしまいます。弱者は冷たく切り捨てられ、強い者ばかりが優遇されるように見え、機会が等しい社会ではなくなっていそうです。こんな社会を望んでいたはずではなかったのに。
しかし、社会を成立させるためには権力を否定することはできません。企業もまた然りです。しかし、一極集中を避け、なるべく分散したり、薄くすべきことは歴史が教えてくれていますが、近頃は逆行しているようです。日本の政治においてはそれが顕著なのかもしれません。政治家が特権者のように振舞って、国民を弱者に貶めていくようなことが平然と行われています。権力の濫用といってもいいのでしょう。その上、法律を悪用し不正を働き、その追求があっても言い逃れし、謝罪することもなければ、誰も責任を取ることもしようとしません。
政治と政党が機能不全を起こしています。これでは社会が成立しなくなるものも当然なのでしょうし、生きにくくなってしまうのでしょう。
政治不信がほんとうに深刻です。それは地方においても同様なようです。先日行われた神奈川県小田原市の選挙、自民党や保守系野党の推薦を受けた現職が、無所属の元職に大差で敗北したそうです。今の政治の縮図を見るような選挙だったようです。
小田原市長に元職・加藤さん返り咲き 自民推薦の現職は大差で敗北、県連「とても衆院選なんて…」:東京新聞 TOKYO Web
この市長選の最大の争点は、現市政の評価だったそうです。現職だった守屋氏は自身の市政を「80点」と評価していたといいます。デジタル関連をはじめ、国の交付金を積極的に獲得するなどして数多くの成果はあったといいます。ただ役所での評判はあまりよろしくなかったそうです。
「決断力」と「スピード感」を売りにしていたそうですが、実際は上意下達、強烈なトップダウンによる政治だったといいます。
守屋と八木(政策監)は職員に人事権をちらつかせ、職権外の業務にも八木は頻繁に介入した。抑え込まれた職員の間には沈黙とうそ、忖度がはびこった。(出所:神奈川新聞)
守屋氏は、前回市長選のでは「ひとり10万円」を公約に掲げたそうですが、当選後は市単独で10万円を支給する意味ではなく、国の特別給付のことだったと釈明し、結果的には誤解させたが曖昧な説明に終始し、不信感を高めていったといいます。
その他にも大規模開発計画などに批判が上った際の説明は丁寧さを欠き、不透明な契約内容、業者選定を巡っては事前に訪問するなど疑惑の目が向けられることも多々あったようです。選挙直前にはタウン紙に集中的に市政PRの広告を出し「市政の私物化」との声が上がっていたといいます。しかし、真摯に対応することはなかったそうです。
国政がそうなっているのだから、地方もそうなっていくのも必定ということなのでしょうか。まして自民党と保守系野党が推薦していた市長なのですから。
一方、今回当然した加藤氏は、選挙戦では「市政に誠実、信頼、そして希望を」を掲げ、当選後には前市長による市政を見直すとし、当選確実の一報を受けると「市民の良識が示された。誠実でまっとうな市政を求める市民の声が勝利を生んだ」と喜び、「いのちと暮らしを最優先に市民とともに政策などを考えていく」と述べたといいます。
「誠実、信頼、希望」こんな言葉が選挙のために使われるのが残念にも感じますが、これまでの政治が、あたり前のことが疎んじてきたということなのかもしれません。
前回の市長時代は、市民との対話を重視するあまりに事業推進に時間がかかり過ぎるとの批判があったそうです。その改善がどう進むか今回の市政における注目点になっているといいます。ただ役所は加藤氏の市長復帰に安堵し、歓迎しているともいいます。
論語に学ぶ
能(よ)く礼譲を以て国を為(おさ)めん。何か有らん。礼譲を以て国を為むる能(あた)わずんば、礼を如何せん。(「里仁第四」13)
「礼譲」、礼、人間社会の規範、そして、礼の根幹である「謙譲」の精神、これによって政治を行ってみよ。困難があるだろうか。規範・謙譲をもって政治を行うことができなかったならば、礼があっても何の役にも立てないと孔子はいいました。
政治の乱れが国の乱れ。権力の濫用が倫理・道徳をおかしなものにしてしまっていそうです。
「道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に遊ぶ」(「述而第七」6)と孔子はいいます。
こんな風にして人生を楽しむことができれるのが普通なことではないでしょうか。こんな世界に少しでも早く近づけていきたいものです。
「参考文書」
裏金「誰が責任取ったか」 浜田氏、自民対応を陳謝:東京新聞 TOKYO Web
地方から相次ぐ不満、注文 自民立て直しへいばらの道/車座対話 – デーリー東北デジタル
小田原市長選挙・市民派市長の復権 議会「ほぼ敵地」、前市政清算できるか 小田原市長選挙 | カナロコ by 神奈川新聞
政治不信を超えて 昭和の遺産、払拭できるか 重田園江・明治大学教授 - 日本経済新聞