G7広島サミットが閉幕しました。次々と各国首脳を乗せた飛行機が広島空港を離陸していきました。お祭り騒ぎが終わり、いくつかの成果文書は残りましたが、サミット前と何も変わらない日々がまた始まります。
ゼレンスキー大統領が来日し、その行動のひとつひとつに心を動されました。ロシアによる侵攻を一日早く終わらせたいとの明確な目標があるからでしょうか。彼はヒロシマで何を感じ、何を想ったのでしょう。
ゼレンスキー大統領、原爆死没者慰霊碑に献花 広島の復興にウクライナの未来を期待 - BBCニュース
しかし、現実とは悲しいものです。彼の切なる願いがすぐに結実することはなく、苦闘の日々が続くことになってしまうのでしょう。
それでもサミットの議長は、このサミットは成功裏に終わったと、満面の笑みでその成果を強調します。ゼレンスキー大統領とは全く異なる目標がそこにはあったということでしょうか。
核兵器のない世界
「核兵器のない世界」、その高貴な目標も厳しい現実の前では、汚されることも致し方ないことなのかもしれません。
カナダ在住の被爆者サーロー節子さん「広島で開いた意味がない」…G7首脳声明を批判 : 読売新聞
被爆者のサーロー節子さんが、首脳声明について「核抑止が前提になっている」と指摘、「広島で開いた意味がない」と批判したといいます。
論語に学ぶ
上に居(お)りて寛(かん)ならず、礼を為して敬せず、喪(そう)に臨んで哀しまずんば、吾何を以てこれを観(み)んや。(「八佾第三」26)
指導者として、人の上に立ちながら人には厳しく、礼法は正しいが気持ちがこもらず、葬儀に参列してもまごころがないようでは、私はそのような者をみたくもないと、孔子がいいました。
遺志を引き継いで、世界の真ん中で咲き誇ろうと振舞い、成果をまとめることに執着するだけでは邪心の塊となって、人の痛みも理解できないのかもしれません。心はこもらず、カタチは整っても、誠実さに欠け、おもいやりも何もないのでしょう。それでも反対する国がないのは、反対するほどの理由がないだけのことではないでしょうか。
それぞれの国に事情があり、自国民のことを思うものなのでしょう。日本においてはどうなのかなと感じます。
外交的成果のためかはわかりませんが、増税によって負担が求められそうです。生活の質の向上につながっているのでしょうか。外交においては包摂的な姿勢をみせますが、国内でも包摂的な社会に近づいているのでしょうか。入管法改正に、LGBTQ理解増進法、厳しい現実がありそうです。
早くもサミットが成功したといって解散総選挙との声が上がり始めているようです。何かがおかしいとまた感じます。それもまたいつもと変わらないことなのでしょう。