「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

ゆっくり変化する日本、現役世代は未来のために我慢すべきなのか

 

「フューチャーデザイン(FD)」、将来世代のための社会を作ろう。持続可能な自然と社会を将来世代に引き継ぐために、現世代が将来可能性を最も発揮できるような社会の新たな仕組みをデザインする取り組みといいます。仮想の「未来人」に成り切って現代人に提言する試みだそうです。

「未来人」のため、我慢できる? 将来世代の意見反映で教材開発―財務省:時事ドットコム

未来人により良い社会を残すため、あなたは我慢できますか」、財務省がこの取り組みを広めようと教材開発に乗り出したそうです。

 記事によると、6月中には複数の教材を完成させ、自治体の政策立案や社会人のワークショップ、高校生の「公共」の授業などで活用してもらいたい考えといいます。

 すでにFDを政策決定に取り入れた自治体もあって、住民参加のワークショップで水道施設の維持補修が重要だと気付き、水道料金の値上げに踏み切る「我慢」を選択した事例もあるそうです。

 財務省担当者は「将来世代の視点も持つことで、今何をやるべきか判断が変わるかもしれない」と述べ、取り組みの広がりを期待しているそうです。

 将来世代のためにというコンセプトには賛同できますが、「我慢」という言葉に抵抗を感じます。我慢というと辛抱が連想されます。「文句ばかり言ってないで、もっと我慢(辛抱)することを覚えなさい」。今の政府姿勢に通じるものがあるからでしょうか。

 それよりは、同義語を使って、現実逃避せず、忍耐強く、将来世代の世代のために、忍耐を要する仕事をしていけばよいのではないかと思います。

ゆっくりだけれども変化している日本

 一方で、日本の将来は必ずしも悲観的なものではないとみるドイツ人経営学者がいるそうです。その人はウリケ・シェーデ氏、同氏の著書『再興 THE KAISHA』では、日本でうまくいっていることにフォーカスし、日本の持つ強みを活かした新しい日本企業のあり方について提言しているといいます。

ドイツ人経営学者が日本企業再興を確信、日本悲観論に「NO」 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)

  なぜ日本における変化がなかなか進まず、ゆっくりなのかについて同書は説明し、「ゆっくりだからといって停滞しているわけではない」といっているそうです。

「『遅い』のは安定と引き換えに日本が支払っている代償である。秩序を保ちながら新システムに移行することで、社会にもたらす打撃が緩和され、少数の人だけが多くの人を犠牲にして勝つことは認められなくなる」のだ。変化は、どんなものであれ混乱や秩序の破壊などの痛みを伴うものであるが、日本は、秩序をできるだけ保った上で変化を進めるために、ペースがスローになることを社会として(結果的に)選好してきている、という主張である。(出所:Forbes)

「ゆっくりだけれども変化は可能」と考えると、日本の将来にそこまで悲観的でなくいられる気分になったと記事筆者はいいますが、「ゆっくりだと、変化を待っているとあっという間に10年、20年が過ぎ去り、私自身は定年を迎えてしまう」、「不遇な立場にいる人や、旧式のシステムにあおりを食っている人たちに、長い間理不尽さや我慢を強いることになるとともに、割りを食う世代が出てきてしまう」と指摘します。

 ゆっくりとした変化では、ある世代のために、ある世代が犠牲になってしまうことがあってもいいとも聞こえます。「犠牲」とは、ある目的のために損失となることをいとわず、大切なものをささげることを意味します。

 長い目でみて国を優先すれば、それでいいのかもしれません。しかし、そこに属する個人がそのために我慢や辛抱を強いられ、犠牲となることにはやはり違和感を覚えます。

論語に学ぶ

 子貢告朔(こくさく)の餼羊(きよう)を去らんと欲す。子曰わく、賜や、爾(なんじ)は其の羊を愛しむ。我はその礼を愛しむ、と。(「八佾第三」17)

 弟子の子貢が告朔の礼に用いる羊の犠牲(いけにえ)を廃止しようとした。孔子は「賜君よ、お前は羊がむだとするが、私の場合は礼式が崩れるのを残念に思う」と答えたといいます。

dsupplying.hatenadiary.jp

 古くからの習慣や年中行事は、害がなければ保存すべきと意味し、また、実質がなくなり、形式ばかりが残っていることのたとえでもあるといいます。

 子貢の主張も理解できますし、孔子が云わんとすることもわかります。しかし、その儀礼の意味を問い、その礼式(規範)を時代に合わせていく作業は常に求められる心構えのように思います。

 

「参考文書」

フューチャー・デザインとは|フューチャー・デザイン研究所