嫌だなと感じることがまた増えています。
名古屋出入国在留管理局で死亡したスリランカ人女性の遺族側弁護団が公開した収容中の監視カメラ映像について、斎藤法相が「国が証拠として提出し、これから裁判所で取り調べる映像の一部を原告側が勝手に編集し、マスコミに提供した」として問題視したそうです。
斎藤健法相が不快感「勝手に編集してマスコミに提供した」 亡くなったウィシュマさん監視カメラ映像:東京新聞 TOKYO Web
映像は地裁で記録閲覧手続きを取れば視聴できるもの。弁護団は「入管難民法改正案の審議が来週にも始まる。収容制度のあり方を適切に議論するには、映像を通じて実態を知ってもらう必要がある」と主張したといいます。
一方、斎藤法相は、報道陣に「皆さんもよく考えてほしい」と映像の扱いについて疑問を投げかけたといいます。論点をぼかし、関心を違うところにもっていこうとしているのでしょうか。違和感をおぼえます。
基本的人権は尊重されてきたのか
SDGsの項目について、20歳前後を対象に日本がより力を入れて取り組むべき課題について聞くと、「ジェンダー平等」の関心が高く、「貧困」や「福祉」などが上位を占める結果になったといいます。気候変動や環境保護の優先度は低いそうです。
時流を敏感に感じ取っているのでしょうか。疑問に思い、改善すべきことに関心を寄せるのは当然なのかもしれません。未来を担うのは自分たちなのですから。
渋谷のZ世代は人権ネーティブ 広がる“倫理的な就活”:日経ビジネス電子版
記事によれば、青山学院大学法学部に昨年、ヒューマンライツ(人権)学科が新設されたといいます。その授業では、「一人の市民として人間らしい生活とは?」などのテーマで学生が熱心に議論しているといいます。
学部長の申惠丰教授は「人権感覚は国際社会で必須となる普遍的な知識だ」と強調する。「人権は思いやりと混同されがちだが、明確に法で保障されたもの。社会に出たときに自身と他者の人権を守れる素養が必要になっている」と指摘する。(出所:日経ビジネス)
憲法でも保証されている「基本的人権の尊重」が、これまで軽んじられていたということなのでしょうか。「基本的人権の尊重」とは、人が生まれながらにして持つ権利を尊重すること。
憲法第11条では、基本的人権を、「侵すことのできない永久の権利」として国民に与えられると宣言し、 第25条では、生存権を保障し、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と記しています。
論語に学ぶ
蓋(けだ)し知らずして之を作る者有らん。我は是(こ)れ無きなり。多く聞きて其の善き者を択(えら)びて之に従う。多く見て之を識(しる)すは、知るの次なり。(「述而第七」27)
その問題について本当に理解することなくして、新説を作り出す者がいる。しかし、私はそういうことはしない。まず可能な限り学んで、その内のこれぞというもの、ことを選び取り、それに従う。可能な限り多くの資料に当たり、それらを記憶するというのは、知る、理解することの前段階なのであると意味します。
自分たちの都合のいいように憲法解釈を捻じ曲げることが度々ありました。もっとも重要視されるべきことのひとつである人権が軽んじられてきたのもわかるような気がします。
人権経営とブランド価値
「害をなさない」だけでなく、「よいことをする」企業として、ビジネス活動を通じて社会の見えない壁をなくすことを目指している企業として、「英ユニリーバ」を日経ビジネスは紹介しています。そして、ブランド価値が高いといいます。
人権問題への感度の高さは、企業イメージやマーケティングなどにも関わる。社会や経済の中心が若年層へと移り変わるにつれ、企業に人権尊重を求める傾向はさらに強くなるだろう。必要な人材をつなぎ留めるうえでも、将来世代の価値観を経営に取り込むことが欠かせない。(出所:日経ビジネス)
そうなのでしょうか。社会的な弱者いれば手を差し伸べ支援する。世の中を観察し、不条理があれば、それを正すために行動する。先駆的な企業はそんな純粋な動機から行動を始めたのではないでしょうか。そして、マーケティングを駆使して、こうした活動を拡げようとする、そう思えます。
人権経営が流行りになったからやっていては、いつまでも追従者のままです。
世の中を見つめ、お客様の声に耳を傾ければ、時々の問題を特定することはできるはずです。その中にこそ、社会に貢献できることがあるはずです。それを正しい方法でやればいいのではないでしょうか。それをお客様が認知し、理解しされ、支持してくれれば、ブランド価値もまた高まっていくのでしょう。
お客様とは広く捉えれば、世の中であり、社会といえるのではないでしょうか。
「参考文書」