「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

不祥事が続く敦賀原発、ほんとうに原発は必要なのか

 

 日本原子力発電福井県にある敦賀原子力発電所2号機の安全審査が中断となるようです。提出していた資料で新たな誤りが明らかになったことが理由のようです。

 またも企業の不祥事といっていいのでしょうか。

敦賀原発2号機の安全審査を再中断 原子力規制委員会、資料不備で - 日本経済新聞

「過去にもデータの無断書き換えなどの不祥事で審査を止めており、再中断となった」と記事は指摘します。

  同じ様なミスが繰り返されているようです。安全に再稼働させるとの意思が欠けているように思えてなりません。それとも、無理にでも進めなければならないという圧力を感じているのでしょうか。

 どちらにしても、無理なのかもしれません。やる気がなければ、いい仕事ができることはないのでしょう。

脱原発

電力会社の経営者だって人間ですから、悪者になってまで動かしたいかどうかといえば疑問ではないでしょうか。再稼働なんてやりたくないという気持ちもあるのではないだろうか。ただ、国策ということもあるし、国から押しつけられたものとはいえ、いちおう経営としての論理もあって、今のような事態になってしまっている。(出所:日経ビジネス

 これは今から10年、2013年の坂本龍一氏の対談記事の一文ですが、的を得ているのかもしれません。

追憶 坂本龍一氏:原子力と、iPS細胞と、ハイデッガーと。:日経ビジネス電子版

 安全を願う国民感情を無視し、原発の新増設や再稼働を政治課題として、無理やりに推し進めようとすることが間違いなのかもしれません。

 10年前の記事は、脱原発のロードマップなどのようなものは、お金をもらって時間をかけて学問をやっている専門家たちがやらなければならない仕事と指摘しています。こうした仕事は、経済学者、物理学者、工学者、哲学にも何かできるところがあるはずといいます。

論語に学ぶ

南人(なんじん)言える有り。曰わく、人にして恒(つね)無くんば、以て巫医(ふい)を作(な)す可からず、と。善いかな。其の徳を恒にせざれば、或(つね)に之に羞(はじ)を承(う)くるのみ、と。子曰わく、占わざるのみ、と。(「子路第十三」22)

 南国の人の諺に「人間として、言うこと為すこといつも変わる者は、巫者でも医者でも治すことができない」と、善い言葉がある。「あり方が不動でなければ、常に恥をかく」ともある。孔子は「占わなくてもいい」といいました。

dsupplying.hatenadiary.jp

 歴代政権が国民感情を無視できず、手を出せずにいた問題に迂闊に手を出せば、それは国民の目にどう映るのでしょうか。こうしたことも考えることができないことにただ驚きます。

 国民主権、主権者たる国民を未だに戦前体制下の臣民のように扱っているのではないでしょうか。これについては歴代政権よりその傾向を強めていそうです。

原発問題に限らず、さまざまな問題に対して、人々が当たり前のようにストリートに出て、ごく自然に発言をする、デモをする……そんな文化の転換の空気を、僕は2012年のデモに感じましたね。(出所:日経ビジネス

 イデオロギー論のような不毛な議論に陥るのを避けるためにも、まずは嫌なら嫌だと声をあげるべきのでしょう。そして、それを続けていくのがいいのかもしれません。

 

「参考文書」

原子炉直下に「活断層」 進まぬ再稼働審査―敦賀2号機:時事ドットコム