対話型生成系AI ChatGPTが公開され、一大トレンドになっています。
「AIが私の仕事を奪う可能性が、現実味を増した」、一橋大学名誉教授の野口 悠紀雄氏はそう感じているそうです。
AIに負ける物書きと「利用して勝つ人」を分ける差 | 野口悠紀雄「経済最前線の先を見る」 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース
人間が行う仕事の内容が変わるだけではない。うまく使えば、これまでより大きな成果を得ることが可能になるかもしれない。(出所:東洋経済オンライン)
AIによってアカデミアの職がなくなることはないのでしょう。仕事が効率化されることはあるのかもしれませんが、人間の頭で考えるという作業は永遠に残るように思えてなりません。
しかし、新しいテクノロジーが登場すれば、古いものは新しいものへととってかわります。自動車が登場し、馬車にとってかわりました。
馬車に関わることをしていた人々の仕事はなくなりました。もう馬車の乗り方を教えても役に立つことはなく、その代わりに自動車の乗り方を教える学校が栄えるようになります。それと同じことが今起きようとしているだけのことではないでしょうか。
AIを活用したがらない人たち
一方で、もっとAIによって効率化される職業もあるのでしょう。行政や政治において、もっとAIを活用して、公正公平を旨とし、論点ぼかしを防止、国会における質疑の時間を短縮して、政策や法案ができるようにすればいいのではないかと思ってしまいます。
放送法を巡る行政文書については、いまだに論点が噛み合っていないように見えます。その整理に活用すれば、いいのでしょうが、そうできない事情があるのでしょう。
論語に学ぶ
古(いにしえ)の学ぶ者は己の為にし、今の学ぶ者は人の為にす。(「憲問第十四」24)
昔の学徒は、自己を鍛えるために学び、それに努めていたが、今の学徒は、他人から名声を得るために学び努めているといいます。
学問の成果は、「自己の人格や生を高めるという自己目的的なものであって、名利には存しない」 (引用:論語 桑原武夫 P9)
「底の浅い虚栄心のために、学問を修める方法を間違ってしまうと、その青年自身の身の振り方を誤ってしまうだけではなく、国家の活力衰退を招くもとになってしまうのである」と、この言葉の意味を渋沢栄一が解説しています。
人もAIも過去を学習して、問いに対する最適な解を導こうとするのでしょう。
虚栄心のために、それまでに学んできた知識を駆使してしまうのなら、いっそのこと、AIに委ねて、公正公平という質問で、その考えの問題を整理してもらってもいいのかもしれません。
これからの学習
いまの学校は、生徒のためにも、社会のためにも役に立っていません。弊害ですらあります。理由は簡単です。時代に合っていないからです。社会の変化にまったく追いつけていないのです。(出所:東洋経済オンライン)
AI時代に即した教育が求められていそうです。
「日本の学校教育」がオワコンと言える2つの理由 | 学校・受験 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース
記事は2050年を想定し、その時代を生き抜くことができる人材を育てなければならないといいます。また、世界の学校では生徒や学生に、「自分は何者か」に気づかせようとする教育が始まっているといいます。
日本の教育は変わることはあるのでしょうか。