ロシアがウクライナに侵攻して、1年の時間が経過しようとしています。
早期の停戦、休戦を願うばかりです。
当事国の双方が終わらせ方を考えているのでしょうが、思惑通りにならず、ずるずると長引いてしまうものなのでしょうか。
しかし、なぜ人はこうも愚かなことを簡単にできてしまうのかと思ってしまいます。その愚かさに気づき、なぜそれを正すことができないのでしょうか。
【磯田道史】日本は「走り者」の国になる? 歴史からみる現代日本
歴史上の人物は誰もが正しい判断を行なうものだという前提で歴史を読み解いていたんです。でも、そうじゃないんですよね。愚にもつかないことをやるのが政治家であり歴史なんですよ。(出所:NEWSPICKS)
そう述べるのは、歴史学者の磯田道史氏。頭にこびりついたものから離れられないから、愚につかないことを平気にやれるのだといいます。
残念なことですが、そうした時代に突入してしまっているようです。
「ポスト冷戦」は1年前に終了、世界は新たな軍拡競争の時代に入った - Bloomberg
これを危機とするから、愚には愚をもって応じざるを得ず、歴史が繰り返すことになるのかもしれません。
埋まらない誤解という溝
プーチン大統領の欧米に対する「誤解」が今回の侵攻の引き金になったのかもしれません。しかし、それは誤解といい、自分たちの論理でそれを説明したところで、プーチンがそれを受け入れることはないのでしょう。プーチンにはプーチンなりの正論があるのでしょう。
「誤解の多くは、放っておくと自然に解けて消えていきます」というのは解剖学者の養老孟司先生。また「その時間を「損」と思うと、短時間で、合理的に「誤解を正そう」という話になる」といって、「そこで無理矢理「これが正解なんだよ」と説明しても無駄」といいます。
養老孟司「それは誤解」と説明しても、相手は相手で「自分が正解」と思っているからたいてい無駄。誤解は放っておいて自然に消えるのを待つべし ものがわかるということ|話題|婦人公論.jp
自分が相手を誤解しないようにしよう。相手をよく理解しよう。でも、相手だって変わっていきます。常に同じ正解があるわけじゃない。だとしたら、理屈や論理でわかるはずがありません。理屈や論理は、いつも「同じ」であるものしか扱えないからです。(出所:婦人公論.jp)
まだ紛争が終わる兆しはみえていないようです。しかし、いつかそれも終わるときがやってくるのでしょう。
それはどんなことがきっかけになるのでしょうか。それで誤解が永遠に解消されるのでしょうか。
論語に学ぶ
人の己を知らざるを患(うれ)えず。人を知らざるを患う。 (「学而第一」16)
自分が人に知られないことをくよくよ憂えたりしない。それよりも人を知らないことを反省するという意味といいます。
自分の価値は自分がよく知っているはずであり、それが世に知られる知られないかは天命でしかない。それよりも他人の価値を十分に知らないでいる自分の不親切さを反省すべきと孔子は諭したとされます。
他者を知り、そのすべてを許容できれば、対立も紛争も生じ得ないのでしょう。しかし、現実的には極めて困難なことであるから紛争がなくなることもないのでしょう。
江戸期の儒学者伊藤仁斎はこの孔子の言葉を、「自分の中に善が存在しなければ他人の善を知ることができない、そこで他人を知らないことを悩む」と飛躍的に解釈しています。そうなのかもしれません。
「自分が50代になってあらためて思うのは、高齢者ほど若い頃にこびりついた考え方を常に総点検して洗い流し、今のものに合わせていく習慣を身につけなければならない」というのは磯田氏。
結局、人とは、常に変化する世を見ては、学び思考し、常に自分をアップデートし続けなければならないということなのでしょう。それをみなが習慣化できるまでは対立の歴史を繰り返すことになるのでしょうか。