米国に続いてブラジルでも議会襲撃事件が起きました。大統領選を巡って、選挙方法などに疑いを持ち、選挙結果を受け入れず、それを「大義」とした抗議活動が暴徒化したのでしょうか。
守らなければ法を犯した一種のテロ行為なのでしょうか。民主主義のほころびのようにも感じます。
日本を含め世界各地で民主主義の根幹を揺るがすような衝撃的な事件が起こるようになっています。
国内統治がきちんとなされ、法を守るという「良識」「常識」が育まれていたなら、こうした行為を防止できたのでしょうか。
銃撃事件
安倍元首相銃撃事件の山上容疑者が起訴され、メディアによる報道合戦となっています。
安倍晋三元首相銃撃の山上容疑者起訴 民主主義へのテロ、法廷へ: 日本経済新聞
選挙期間中に起きた、こうした悲惨な事件をテロと呼んでいいのかと疑問を感じます。「テロ」の定義にもよるのでしょう。
裁判で動機が解明され、事実立証がなされた後の判決が待たれます。
安倍晋三元首相銃撃への「共感」に危うさ 問われる「正しい力」: 日本経済新聞
「事件やそれを起こした人物に、世間一般が共感を寄せることはままある」と記事は指摘します。
「義賊」のような存在や、理不尽に虐げられた人が「やむにやまれず立ち上がる」ような事件は、物語などに取り上げられたりもする。
庶民の側に立っているわけでもない、まさに悪事に手を染める「ダークヒーロー」をほめそやす風潮もある。(出所:日本経済新聞)
日本最後の内戦といわれる「西南の役」で敗れた西郷隆盛は「ダークヒーロー」なのでしょうか。
蜂起する賊軍にもやむにやまれず立ち上がる「大義」があり、時の政府と対立します。歴史を学べば、政府の統治の問題で、こうした反乱がおこることを知ることができます。
「賊徒」の蜂起が時に革命となり、価値観が一新されることがあることもまた歴史から知ることはできます。そうした出来事があって今日があり、また民主主義が成立しました。難しい問題です。
勝てば官軍負ければ賊軍
江戸幕府最後の将軍となった「慶喜」は、どのような人物だったのでしょうか。歴史書を読めば、悪人だったかと言えば、そうでもないような気がします。ただ明治維新を起こす人々からすれば慶喜を「悪人」に仕立てないと、明治維新の大義は成立しません。
一方の幕府からすれば、法を犯し、テロを起こしたのは薩長側であったはずです。
「勝てば官軍負ければ賊軍」といいます。「正邪」、「善悪」の基準も怪しいといことでしょうか。
しかし、維新が成立したことで、日本の歴史が変わることになりました。そして、今日の民主主義国家 日本が存在します。
古代中国
古代中国殷王朝最後の君主「紂」は暴君と言われ、配下であった周の武王は武力蜂起し、紂を討ち、殷王朝が倒れ、周王朝が樹立します。紂によって弾圧された臣下を開放し、また、功績のあった者に論功行賞を行います。武王の弟「周公旦」を魯に封じるなどしました。その後、武王は病に倒れ、「周公旦」に周の行く末を託します。
しかし、当時の常識からしても、国を統治する天子を討つなどは非常識そのもので、不善でもあり、武王の行動を批判した人たちもいたといいます。伯夷、叔斉の兄弟がそれで、武王に諫言したそうですが、聞き入られず、周王朝樹立後、餓死するまでに不服従に徹したそうです。
それから500年後に「孔子」が誕生します。「孔子」は、この「周公旦」を理想とし、魯の再興を願い、徳治による善政を目指します。しかし、この孔子の理想は叶わず、放浪の身となることも天命かと悟ったといわれます。孔子は政治的に成功しているわけですが、その後、思想家として歴史に名を残すことになります。
論語に学ぶ
子貢(しこう)曰わく、紂(ちゅう)の不善は、是(かく)の如くの甚(はなは)だしからず。是(ここ)を以て、君子は下流に居るを悪(にく)む。天下の悪 皆(みな)帰すればなり。(「子張第十九」20)
紂王の不善は、それほどひどいものではなかった。しかし、一度悪い評判が得てしまうと、それが伝わり増幅してゆくものである。それからすれば、君子 教養人は悪徳者とみなされるを嫌う。世の悪という悪は、すべてその人のしたことになってしまうからであると意味します。
こうした言葉に触れると、孔子が歴史を学び、道徳を学ぶことの重要性を見つけ出したことは奇跡的なことのように思います。
普遍的な価値に従う「常識」や「良識」を育むことなければ、法が守られることはなく、統治はおぼつかなるということでもあるのでしょう。
なぜ治安が悪化するような犯罪が増えるのか
さて、今日の日本の統治はどうなのでしょうか。不正行為が蔓延したり、凶悪犯罪が徐々に増えていないでしょうか。
こうした行為がなぜ蔓延るようになったのでしょうか。個々人の学びの問題と断じてよいのでしょうか。
政治家たちが平気で「不善」を行うようになり、それでも法に触れていないと言い訳することをよく耳にするようになりました。元首相も平然と国会でそういう答弁をしていました。「法にさえ触れなければ」、それでいいのでしょうか。
コロナ禍で収入が減った世帯に特例で生活資金を貸し付ける国の制度がありました。この制度において、返済免除を求める申請が貸付総数の3割超(約106万件)に上ることが分かったそうです。
コロナ禍の特例貸付、3割が返済不能 2108億円免除決定: 日本経済新聞
記事によれば、既に約63万件の申請が認められ、約2108億円分の免除が決まり、制度全体の見通しの甘さが浮き彫りになっているといいます。最初から貸付せずに給付にしていれば、こうなることは避けられたという意見もあります。
とある専門家は「借りた金は返すのが当たり前。こんな形で安易にカネを出し、返せないからと安易に免除するのは、政治と借り手のモラルの劣化を象徴している」といいます。また、別の専門家は、「借りた金を返す、というモラルは徐々に崩れていきます。きちんと返す人がバカを見ることになります」といい、「政府や行政としても、無理矢理回収すると報道の的になり、票につながらくなるおそれもあるので議員は誰もやりたがらない」といいます。
悪く言えば、政府が良識を育むのではなく、それを守れなくなるような仕組みを作り、それを悪用しているようにも感じます。政治が劣化しているということなのでしょうか。それとも民主主義の限界なのでしょうか。
これでは統治がままならず、治安が悪化するのもわかるような気がします。
「参考文章」
安倍元首相銃撃事件 山上容疑者を起訴 裁判の争点は | NHK | 安倍晋三元首相 銃撃
“ブラジルのトランプ”支持者が議会襲撃 いったい何が? | NHK