G20サミットが開幕しました。議長を務めるインドネシアのジョコ大統領が冒頭、「我々は戦争を終わらせなければならない。世界を2つに分断すべきではない。新たな冷戦に陥ってはならない」と結束を呼びかけたといいます。
G20サミット開幕、ジョコ氏「戦争を終わらせるべき」: 日本経済新聞
ロシアのウクライナ侵攻によって、G20内でも分断が深まっていると記事は指摘し、食料やエネルギーの逼迫などの課題で接点を見いだせるかがこのG20サミットの焦点といいます。
危機が深まれば深まるほどに、それぞれの国がそれぞれの思惑で行動してしまうのでしょう。こんな時に議長を務めるのも大変なことなのでしょう。共同声明の取りまとめを何とかしたいジョコ大統領の心中を察します。
日本がもっと積極的に議長に協力できればと感じます。しかし、首相はどの会議でも、いつもと文言を繰り返すばかりです。
G20 首脳会議 岸田首相がロシア侵攻強く非難 即時停止を要求 | NHK | G20
記事によれば、「法の支配に基づく国際秩序への挑戦で、最も強いことばで非難する」と述べ、食料やエネルギーの価格の高止まりや供給不足をはじめ、世界経済にも深刻な影響を与えているとして即時停止を求めたといいます。
欧米は裏庭で生じる紛争を他人事にはできないでしょう。米国と競合する中国は狡猾な態度に出て、自国の立場を有利なのものにしようと虎視眈々としているのでしょう。こうした世界をみて、日本はどうすべきなのでしょうか。
一体、首相は近い将来に何が起こるのかと予期し、どのような準備を進めようとしているのでしょうか。
変わらぬ路線のままでは時間が止まったままで、時代遅れになりはしないかと危惧します。
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「悪でも勝つことがある」と、キャベリの『君主論』にはそう書いてあるそうです。ただ「強いやつが勝てばいいんだ」と言っているわけではないといいます。
「すごくいい人」が会社を潰してしまうシンプルな理由 | 日経BOOKプラス
世の中をきちんと見ると、正義や悪という抽象的で二分法的な概念だけでは、とても整理し切れないですよね。人間って、もっと複雑じゃないですか。抽象的な概念に当てはめて、「これは正しい」「これは間違っている」と言い切るのではなく、経験的に積み上げてきたものを重視する考え方こそ大切だと思います。(出所:日経BOOKプラス)
記事は、「こうあるべき」という「べき論」の危険性を指摘し、そこから外れている人を「こいつはとんでもないやつだ」という結論を導き出すことになるといいます。
一方、これとは逆に、人間をよくよく観察して総体として見て、「人間とはこういうものではないか」と帰納的な考え方もあるといいます。
国際社会を含め、今の社会においては様々な価値観が混在しているのでしょう。記事が指摘する通り、「べき論」で断じれば、世の中とんでもない輩ばかりになってしまいます。
『君主論』には、「人間をよく観察した結果、こういうことが言える」という内容が書いてあるといいます。
「失われた何十年」と言われ、デフレマインドに染まった日本を本気で変えようとした人がいました。その彼が行った様々な施策も、その当時の社会を観察し、考案されたものだったのでしょう。
時間が進めば、意識しようとしまいが社会は変わり、当時と同じということは絶対にありません。
様々な指標で国際競争力は低下し続け、悪化していることの方が多くなっていないでしょうか。
経済云々とか、外交云々が長い間優先されてきたように感じます。しかし、国民生活は期待以上に向上していません。それよりは課題ばかりが目立つようになりました。世界を眺めてみれば、あくまでも国民第一があって、そのために施策が実行されていないかと感じます。米国のインフレ対策がその例なのでしょう。景気を悪化させても、インフレを抑制する、インフレの方がより深刻に国民を苦しめるという論理なのでしょう。
経済さえ再生すれば、すべてがうまく回るという論理からもうそろそろ抜け出るときなのかもしれません。
首相は何を想起して、政策の良し悪しを判断しているのでしょうか。
論語に学ぶ
子曰わく、詩三百、一言以て之を蔽(おお)えば、曰わく、思い邪(よこしま)無し。(「為政第二」2)
詩三百篇、詩には邪心のない純粋な感情が表現されている、これら一句で断定すれば、「思い邪無し」、こころのままのまっすぐな表われであると意味します。
社会をしっかり観察できる首相になれば、状況が変わっていくのかもしれません。