政治家は公共の利益のために働くべき存在ではないでしょうか。そうであれば、与野党の違いがあっても、建設的な議論になりそうなものですが、現実はそうなりません。いつもどの時代にあっても紛糾するばかりのようです。「私」や「個」を押し通そうとするからなのでしょう。
国会論戦が再開となり、毎度のことですが、色々な発言が飛び出しているようです。観客民主主義に陥って、それを笑いのネタにしてはならないのでしょうが、ついつい発言者の心根、本意はどこにあるのだろうかと邪推してしまいます。
公共性から縁遠い発言であれば、なおさらです。
自民党の石井参議院議院運営委員長が首相との会食の後、「衆議院予算委員会が午後5時1分に終わるなど野党側に緊張感がない。それで『瀬戸際大臣』の首をとれるのか。だらしない」などと発言し、野党の猛反発を受け、発言を撤回し、謝罪したといいます。与党側からも苦言があったようです。
また、日本銀行の黒田総裁は、衆院予算委員会で立憲の階猛氏が円安進行を含めて量的・質的金融緩和は失敗だったとして直ちに辞任するよう求めたのに対し、「辞めるつもりはない」と述べたといいます。
黒田日銀総裁「辞めるつもりない」、緩和失敗は事実でないと主張 - Bloomberg
「異次元の金融緩和はデフレを解消し、成長を回復し、雇用を増加するという意味で効果があった」と説明し、「量的・質的金融緩和が全く失敗したということは事実に反する」と主張したそうです。
そういう事実もあるのでしょうが、もう少し突っ込んだ建設的な議論になれば、よかったと思います。
発言中に野次られた黒田総裁がムッとする表情になったことが印象的でした。政治家のせいでそうせざるを得なくなったから、そうしているだけだとでも言いたかったのかと想像してしまいました。
論語に学ぶ
子貢(しこう)曰わく、君子の過ちや、日月の食(みちかけ)の如し。過つや人皆之を見る。更(あらた)むるや、人皆之を仰ぐ。(「子張第十九」21)
君子の過ちは、日食や月食の姿のようにはっきりして、隠したりはしない。過てば人々はそれを知る。しかし、君子はすぐにそれを改めるので、人々は侮ることなく、かえって尊敬すると意味します。
英国では、看板政策だった減税策のほとんどを撤回したトラス政権が窮地に立たされているといいます。
トラス英首相、「次の総選挙へ党を率いる」 BBCインタビュー - BBCニュース
トラス首相はBBCのインタビューで、「間違いについて申し訳なく思う」と謝罪し、首相に就任してからの1カ月は「完璧ではなかった」と認め、犯した間違いを「正した」と付け加え、軌道修正しなかったならば、それは「無責任」だと述べたといいます。
できることなら、過ちが起こらないようにすべきなのでしょう。しかし、犯した過ちに対しての対応次第でもあるのでしょう。
☆
ついついトラス英政権と岸田政権を比較してしまいます。トラス首相も自分の非を認め謝罪すれば、政局になり、自分の立場が危うくなることは想定できたのではしょうか。それよりも英国流の「公共性」を重視するが故、いとも簡単に軌道修正ができるのでしょうか。
翻って日本、謝罪の発言はよく聞きますが、それで行動が変わるということが伴わないように感じます。
単に「公共性」に対する考え方の違いなのでしょうか。
「参考文書」