「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

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厳かなるエリザベス女王の国葬、弔意を示し、故人を偲び、その人柄を改めて知る

 

 エリザベス英女王の国葬ウェストミンスター寺院で厳かに執り行われました。世界各国の元首や王族、指導者など約2000人が参列し、生涯にわたって強い使命感をもち続けた女王をしのんだといいます。

英エリザベス女王の国葬、執り行われる 奉仕の生涯を追悼 - BBCニュース

 ウェストミンスター寺院のデイヴィッド・ホイル首席司祭が葬儀を取り仕切り、参列者に感謝を表したといいます。

 

 

論語に学ぶ

終わりを慎み遠きを追えば、民の徳 厚きに帰す。(「学而第一」9)

「終わり」とは自然な老衰死、「遠き」とは祖霊を意味するといいます。

 父母の喪においても、祖先の祭祀においても、誠を尽くすのであれば、その道徳心はすぐれたものになるとし、喪礼は形式に陥ることなく、まごころにあると解します。

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 国民のために、世界のために奉仕した生涯だったといいます。女王としての70年、第2次世界大戦から現在に至るまでの激動の時代における功績は如何ほどのものだったのでしょうか。女王の存在の大きさを感じます。改めて弔意を表します。またその笑顔が偲ばれます。

 

 

 女王の国葬を拝見すると、国葬の意義を考えます。国葬の基準を曖昧にしてはならないのでしょう。

顔淵死す。顔路(がんろ)、子の車以てこれが椁(かく)を為(つく)らんと請う。子曰わく、才も不才も、亦(また)各々其の子と言う。鯉(り)や死せしとき、棺有るも椁無かりき。吾 徒行(とこう)もてし以て之が椁を為るをせざりしは、吾 大夫の後(しりえ)に従い徒行す可からざるを以てなり、と。(「先進第十一」8)

 孔子の弟子顔淵が亡くなったとき、父の顔路が孔子に「貧乏なもので、孔子の車をいただき、それを売って椁を作りたいのですが」とお願いしたといいます。すると孔子は「器量があろうとなかろうと、それぞれその子について十分なことをしてやりたいと思うのは常である。その気持ちは理解できるが、私の場合、息子の鯉が亡くなったとき、棺は準備したものの椁は準備できなかった。そのとき私は、車を処分して椁を作るということをしなかったのは、すでに私は、大夫の待遇を受けており、車に乗らず徒行で出入りするわけにはいかなかったからである」と答えたといいます。

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 顔淵の父 顔路の願い出は、顔淵がいくら孔子の最愛の弟子だからといえ、無遠慮で、厚顔であったといいます。

 

 

 安倍元総理の国葬もまた、首相の厚顔な申し出ということなのでしょう。いまだ国葬という形式にこだわる意味があるのかがよく理解できません。

 過大に執り行うことはかえって礼に反し、規範の乱れにつながっていくように感じます。国葬という形式をとらず、故人を偲ぶものとすれば、故人の在任中の苦労も報われることになるのではないかと思われます。

 首相の対応が残念でなりません。国葬として実施するしないにかかわらず、意見対立を収めるため首相には今なすべきことがあるのではないでしょうか。

 

「参考文書」

【評伝】 エリザベス2世、強い義務感が支えた長い治世 - BBCニュース