米国のパニック映画では、力を発揮すべき権威・権力の無能さを描き、権力を持たない市井の人が立ち上がって事件を解決していくストーリーが描かれ、そこには「権威・権力に依存するな、権力を持たないが自ら動け」という一種の批判性があるといいます。
ところが日本では「お上」のリーダーシップが描かれ、「お上」はいつも正しく、パワーがあり、困ったときには助けてくれる存在として描かれることが多いといいます。
【山口周・特別講義】『ジョーズ』『ダイ・ハード』田舎刑事が最後に解決する「意外な意味」 | ニュータイプの時代 新時代を生き抜く24の思考・行動様式 | ダイヤモンド・オンライン
これは山口周氏の視点で、ハリウッド映画でリーダーシップを発揮する人たちは、自らの権限を超え、問題意識や危機意識に突き動かされて、止むに止まれず、どうしようもなくなってリーダーシップを発揮しているといいます。
「リーダーシップは本来「権威」から生まれない」、米国社会は市井の人の中からリーダーが誕生することを容認し、そればかりか、熱望しているということなのでしょうか。
良い悪いは別にして、トランプ大統領の誕生はそういうことだったのかもしれません。民主党の無能ぶりを糾弾し、「Make Great America again」とのスローガンを掲げれば、ヒーローっぽさがありました。
日本でもこうしたストーリーへの羨望はあるのかもしれませんが、ついつい現実的になって、権力=リーダーシップに期待してしまうのでしょうか。
安倍人気はその好例だったのかもしれません。そんな例ができてしまうと、それを模倣する人が現れるのが世の常なのでしょう。
岸田首相が先日、これまでの姿勢を転換し、原子力発電所の「新増設」について検討するよう指示しました。原発事故後、「原発依存度は可能な限り下げる」というこれまでの政府の姿勢を転換させようとしているといいます。
脱「脱原発」に踏み出した岸田首相は世論の風圧に耐えられるか(磯山 友幸) | マネー現代 | 講談社
どうも国民世論が割れそうなテーマを選んでは、物議を醸しだすような決断をしているように感じてしまいます。それでよい方向に進んでいると実感できればいいのですが、そうはなっていないように感じてしまいます。
ただ単に功を欲しているだけではないでしょうか。
論語に学ぶ
其の以(もち)うる所を視、その由(よ)る所を観、其の安んずる所を察すれば、人焉(いずく)んぞ廋(かく)さんや、人焉んぞ廋さんや。(「為政第二」10)
ある人を知るには、その行動如何に注目し、次に、その原因、動機を観察し、さらに、その行動によってその人の心のあり方がどのように落ち着くのかを洞察するのがよい。そうすれば、当の人物は自分を蔽い隠そうと思ったところで、隠しおおせることなどできるものではないと意味します。
ここ最近の首相の選択がどうにも理解できません。
この原発再稼働にしろ、国葬にしろ、その目的は何なのでしょうか。また、首相の動機は一体何なのでしょうか。
先日亡くなられた稲盛和夫氏は、企業経営にあたり「全従業員の物心両面の幸福を追求する」「人類、社会の進歩発展に貢献する」、それを願いとし、無私の覚悟をもって事業を進めたといいます。
比較するのが間違いなのかもしれませんが、首相はどんな哲学をもっているのでしょうか。また、危機意識や問題意識はどうなのでしょうか。何に危機を感じ、何を問題として捉えているのでしょうか。
いずれにせよ、国難とでもいえるこの時期に、選択を間違えて欲しくない、そう願わずにはいられません。
「参考文書」
岸田首相、原発新増設へかじ 根強い慎重論、論争必至:時事ドットコム