「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

由々しき事態ではないか、賛否分れる国葬、はっきりしない政府の態度

 

 国葬について世論が割れています。それを意識してのことか、政府説明に変化があるのでしょうか。弔問外交の場などの説明もあるようです。思った成果をあげることはできるのでしょうか。

国葬めぐり野党が警備費など大幅増の懸念を追及 国葬費2・5億円に要人接遇の経費など含まれず - 社会 : 日刊スポーツ

 一方で、政治と団体のつながりの実態が報道によって次々と明らかになってきています。

 NHKクローズアップ現代は、安倍元首相がビデオメッセージを送った団体「UPFジャパン」のトップ梶栗正義氏にインタビューしています。

旧統一教会関連団体トップに問う 教会と政治、安倍元首相との関わり - クローズアップ現代 - NHK

 それによれば、この団体の活動資金の一部は「旧統一教会からの寄付」であることを認め、また友好団体であると述べています。

 

 

 梶栗氏は、安倍氏とのつながりも認めています。

「この8年弱の政権下にあって、6度の国政選挙において、私たちが示した誠意というものもちゃんと本人が記憶していた」と信者に向かって話をしていたそうです。

安保法制など安倍元首相が掲げてきた政策に対して、理解を広めるためのさまざまな勉強会を各地で行い、また選挙においては、依頼された方を各地で応援をさせていただいたことが伝わったのかな、という私の印象の話です。(出所:NHK

 民主主義の根幹である選挙の裏でこうしたことが行われていたことに少々戸惑います。 これが政治の今ということでしょうか。

論語に学ぶ

篤く信じて学を好み、死を守りて道を善くし、危邦(きほう)には入らず、乱邦(らんぽう)には居(お)らず。天下 道有らば、則ち見(あら)われ、道無くんば則ち隠る。

邦に道有りて、貧にして且つ賤(いや)しきは、恥なり。邦に道無くして、富み且つ貴きは、恥なり。(「泰伯第八」13)

「学問に対する信頼感を深くしつつ学問を愛し、おのれの信ずるところを守って正しい道を生涯貫く。危機に瀕した国には足を踏み入れず、無秩序に陥っている国にはとどまらない。国家に道義が支配しているときは世の中に出て、国家に道義が存しないときは世の中をのがれて隠遁する。これが君子の取るべき態度である。

 だから国家に道義が支配しているときに、貧乏で賤しい地位にとどまっているのは恥ずかしいことである。一方で、道義が地をはらった国家において、その汚れた政治から利益を引き出し、金持ちになり高い地位を占めているのは恥ずかしいことである」と意味します(参考:「論語桑原武夫)。

dsupplying.hatenadiary.jp

 基本において欲望を肯定し、その充足が知識人にも当然許されるべきとする、現世的オプチミズムがはっきり出ていると桑原武夫は指摘します。超越的、彼岸的なキリスト教ないし仏教と根本的に対立するところであり、また、現代への適合性をもつところであるといいます。

 生命のあるうちは操守をかたくして日々精進する。自分の信じるところを守り、これを社会にひろめ、人民のためをはかるためには、身の処し方は十分慎重にして配慮することが必要だとするのである。(引用:「論語桑原武夫

 

 

 先日の立憲民主党の国対ヒアリングで、「全国民が国葬に反対しても、閣議決定さえすれば、税金を使って国葬は可能か」といった質問に対し、政府側は「内閣が意思決定すれば、行政はその通りに動く」と答えたといいます。

金平茂紀氏 国葬「全国民反対でも閣議決定なら実施」政府見解を批判 「法の番人の現在の実に情けない姿」― スポニチ Sponichi Annex 芸能

 政府側からは文科省内閣府内閣法制局から官僚が出席したそうです。

 孔子が今の日本を見たとしたら「危邦には入らず、乱邦には居らず」というのでしょうか。

 道徳に「善」を求め、こうあるべきとしたところで、現実の世界はそうはならない。「恥」を恥とせずに、己の欲にまっしぐらに進む者たちがいる、これが現実なのでしょう。こうした現実を突きつけられると「善」など存在しないのではないかと思えてしまいます。

 

 

 ソクラテスの弟子にして古代ギリシャの哲学者プラトンは、道徳を基準とすることで人間を導き、少しでも知的な理想「善という永遠で不変で必然のイデア」に近づけようとしていたといいます。

アリストテレスとプラトンは一体何が違ったのか | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース

 一方、そのプラトンの弟子のアリストテレスは道徳よりも倫理を優先させたといいます。

道徳は「究極の善」を求めるが、倫理は常に変化する世界のなかで「最善」を目指す。(出所:東洋経済オンライン)

 アリストテレス孔子同様、中庸を美徳とし、「最善」は常に2つの悪例の中間に存在するとしているといいます。記事によれば、正義や勇気といった美点そのものを絶対の価値として語ることはないともいいます。

 勇気を例にすれば、理想主義のプラトンは高みを見つめ、理想の勇気を追い求めるが、アリストテレスは現実主義者として、「勇気」は、両極端である無鉄砲と臆病の中間に存在し、極端でない境地にあるとするそうです。

 

 

 NHKによれば、安倍氏と団体を結び付けたもののひとつとして「反共」があったといいます。こうした考えもまた極端な一例なのかもしれません。

 その考えに執着し、それが信念に転じると、無意識下で現実化させようとするのでしょう。言動もそれに従うようになり、それが意識下でも繰り返されると習慣となり、パターン化していくのでしょう。

 両極端はその対と常に二項対立し、攻撃し合うことになるのかもしれません。

 これに対し、アリストテレスは「運に支配されたこの世の中ですべての人の行為を善という普遍的な絶対の概念によって律するのは無理なことだと諦め、それでも少しは「まし」になるように、状況や時代の変化に応じてその都度、適切な行動を選んでいくほうが好ましい」と考えていたようです(参考:東洋経済オンライン)。

 あの事件以降、時間とともに次々と色々なことが明るみになりました。国葬については賛否が分かれました。こうした状況下で国葬に正当性を求めることに無理があるように感じます。

邦に道無くして、富み且つ貴きは、恥なり」。

 想定外のことが起き、思いつきの判断には、予想外の反応があるということなのでしょう。

 アリストテレスは、突発事項の発生を無視しないといいます。それに対応するには知識だけでは足りず、才覚が求められるといいます。

正解はない。正解を教えられるなら、知識を得たり、政治学校で学んだりすることにも意味があるだろう。だが、危機のなかにあっては、新しいことに挑戦し、行動することが必要になる。原則を当てはめるだけでは答えが得られない状況で、判断を迫られるのだ。(出所:東洋経済オンライン)

 今よりも「まし」なことを選択するしかないということなのでしょうか。

 しかし、なぜかそうできず、混乱を生み出す。それを「非道」という呼んでもいいのではないでしょうか。

「道」から外れ、人としてのあり方や生き方からもはずれているのでしょう。由々しき事態なのでしょう。こんな政治がいつまで続くのでしょうか。

 

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