「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

尾を引くあの事件、ライバルが語る故人の功罪

 

 故安倍元総理のライバルとされた自民党石破茂氏が「安倍政治の功罪」をNHKのインタビューで語っています。

「大臣就任断り激怒させた」ライバル 石破茂が語る安倍晋三 | NHK政治マガジン

「極めて安全保障に見識のある人」と石破氏はいい、安倍氏の政治家としての才と評価しています。また、「いわゆる心情的なタカ派ということではない」とも言います。そして、その功績をこう評しています。

 日本がどんどんと衰退していくという国民の不安を解消したという点が功績でしょうね。また平和安全法制に見られるように、安全保障において一定の前進をみたということ。そして、批判する向きもあるけれど、消費税を2回上げてるわけですよね。それは財政規律に一定の配慮をしたということじゃないんですかね(出所:NHK

 

 

 一方、安倍政権の罪の部分については、「国民に対する嘘言というのは許されるとは思わない」といい、「桜を見る会」に関しての国会答弁で事実と違っていることを問題視しているといいます。

 石破氏は「国家機密を除けば、情報は正確に開示すべきもので、改ざん隠蔽、虚偽答弁などというものは民主主義を否定するもの」との意見を述べます。

安倍さんは多分、『政治は結果であり、必要あれば情報を隠すこともある。国会で心ならずも真実と違うことを言わねばならんこともある』と思っていたのではないか。(出所:NHK

 さらに、「安倍さんは、『正しいことは正しい。間違っていることを次の時代に負わせるべきではない』という考えで、何よりも結果が大事だと信じていたはずなんですね。私は、結果も大事だけど、民主主義はプロセスであって、保守の本質は寛容だ」と述べます。

 

 

 自己で思う自分と他者の目に映る自分は必ずしも一致しないことが往々にしてあるものです。

 どちらも自分であって、後者の自分を理解することが社会で生きていくためには大切であり、特に自分の味方ではない人の言葉は、適切に弱点指摘をしてくれるものだと思った方がいいのでしょう。

「正邪」「善悪」は、個々人が必ずしも同じ価値を共有しているとは限りません。もしすべてにおいて一致しているのであれば、対立や分断など生じ得ないはずです。

 そうであるにも関わらず、一方的に「正しさ」をごり押しし、そのために情報を隠すことがあるのであれば、なおさらに対立するようになるのではないでしょうか。

論語に学ぶ

父在(いま)せばその志を観(み)、父没すればその行いを観よ。三年父の道を改むる無きを、孝と謂(い)う可し。 (「学而第一」11)

  論語のこの章は、「父の死後、その人物の実践行動を観察して、3年間父のやり方を改めていないかどうかを確かめ、それによって孝行者であるか否かを判定すべき」との意味です。

dsupplying.hatenadiary.jp

 しかし、父のやり方が正しくなかった場合、反道徳的であった場合、子はどうするべきは難問で、また、三年は長すぎないかと桑原武夫は疑問を投げかけています。

 桑原によれば、萩生徂徠は「孝」の真髄は、子として父の志や行いの善悪を識別しないことにしているといいます。しかし、それでは桀や紂のような暴君の道も改めてはならないでいいのかとの難問は解けないといいます。徂徠は「義」を持ちだすことで解決しようしますが、「義」が「孝」を支配することも疑問であると桑原は指摘します。

 

 

 かつて「安保闘争」で社会が騒然していた時代があったといいます。

 60年安保闘争では、安保条約の改定を阻止できませんでしたが、アイゼンハワー大統領の訪日を阻止し、安倍元首相の祖父岸信介内閣を退陣させたといいます。当時、岸内閣によって行われた強行採決に対して、多くの国民が民主主義そのものへの挑戦として受け止めたことも背景にあったといいます。

安保闘争 - Wikipedia

 それ以降もしばらく安保闘争は続くことになります。

旧統一教会と日本会議、「野合」の運動史…歴史認識が対立しても「とりあえず共闘」の打算:東京新聞 TOKYO Web

 こうした現代史を紐解くと、ふと安倍元首相がたいへんな孝行者のようにも感じます。

 反道徳的であろうとなかろうと、岸信介氏、安倍晋太郎氏と代々脈々と受け繋がれたものがあったのかもしれません。

 

 

 江戸期にも社会に衝撃を与えた事件、犬公方没後の政策転換があったといいます。

 生類憐みの令を定めた五代将軍綱吉は儒学好きで、臨終に際して近臣を呼んで、「このことに限っては、百年の後も余が生きていたときのように指示するのが孝行というものであろう」と、遺言したといいます。

 しかし、これによって何十万の人々が罰せられている現実に、後継ぎの家宣はたいへん苦慮したそうです。家宣も新井白石を師とする儒学の信奉者でしたが、葬儀を遅らせ熟慮した結果、「私個人といたしましては、永久に仰せに背くことはしません。しかし、天下人民のことになりますと、考えることもありますので、お許しをお願いしたいと存じます」といって、遺言に反し綱吉の令を停止したといいます。

 安倍元首相が考えていた「正しさ」と一体何であったのでしょうか。

 国を憂う気持ちは強かったのかもしれません。ただその目的を達するための手段が道徳的であったかには疑問がありそうです。

 人は往々にして自らの信条や信奉することを基準にして手段を選択するものです。それは自律的に改変しない限り、無意識なのでしょうが、親から子へ、そして孫へと代々引き継がれてきたものだったりするのではないでしょうか。

 難しいことですが、無意識下の判断、直情的な判断に疑問を持ち、家宣のように「安民」を第一にできれば、評価はもっと違ったものになったのでしょうし、昭和の黒歴史がもっと早く幕を閉じていたのかもしれません。もうそろそろその幕を下ろすべきときが来ているのでしょう。