「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

現実の社会における幸福の探求と悪行

 

 現代において暴力で社会を動かそうと考えることは「邪悪」ではないかと思いますが、現実においては必ずしもそうではないのでしょうか。

 ロシアによる蛮行を目の当たりにしましたが、未だそれを止めることができていません。さらなる長期化が懸念されています。米国では、トランプ元大統領支持者が議事堂を襲撃する事件がありました。扇動したのではないかといわれる元大統領の人気は未だ衰えず、中間選挙に向け米国の分極化が進む気配があるといわれています。

 こうした悪しき影響が社会に伝播しないことを願うばかりです。

 

 

 日本では元首相が暗殺されるという衝撃的な事件がおこりました。あってはならないことであったはずなのに、これを機に、政治と特定団体との関係が明るみになり、また、特定団体の異常さも白日の下に晒されることになりました。

 悪行であったはずなのに、これによって社会が動くことに、少々驚かされます。犯人を擁護する気はありませんが、犯人の意図通りになったということなのでしょうか。恐ろしいことです。

私たちはなぜ生を軽んじ、自由を放棄し、進んで悪に身をゆだねてしまうのか。人間の所業とは思えないような残虐きわりない行為がくり返されるのはなぜなのか。悪は人間であることの宿命なのか…(中略)

人を悪へと導くさまざまな要因を究明するなかで、しだいに「人間らしく生きること」の本当の意味が浮き彫りにされていく―。(引用:紀伊國屋書店

 

 

 一方、カリフォルニア大学バークレー校の心理学者チームの最新の研究では、幸せの価値を極端に高く評価する人たちは、短期的にも長期的にも幸せになる確率が低いことを発見したといいます。

幸せは追いかけるべきものなのか? 心理学者が分析 | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)

幸せを「切望」するのは問題ないが、幸せについて「心配」するようになったとき、人は困難に陥る。(出所:Forbes)

 幸せの探究に熱心になり過ぎるあまり、それが失望や後悔など、さまざまな否定的感情につながっていくといいます。

 そうではなくて、幸せとは感じるものであって、それは「実行する」ことで実現されるといいます。

論語に学ぶ

子 斉(せい)に在りて、韶を聞くこと三月(さんげつ)、肉の味を知らず。曰わく、図らざりき、楽を為すの斯(ここ)に至らんとは、と。(「述而第七」13)

 孔子は魯の内乱を避け、当時の大国「斉」に亡命したといいます。その時、聖王「舜」が作ったとされる「韶」という舞踊をともなう交響楽を聞いたそうです。

 その芸術的感動は、肉体的衝撃といってもよいほど、痛切なまた持続的なものであった。そのため以来三か月の間、食い物の味もわからなくなるほどであったといいます。

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 孔子は、「韶」は「美を尽くし、又た善を尽くせり」(「八佾第三」25)と賛美しています。 

 幸福の探求、希求をあまり神秘的なこと、スピリチュアルなことにせず、もっと現実的に考えるべきなのかもしれません。

 あまりにも深刻になり過ぎるあまりに、極端に染まっていくのではないでしょうか。