「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

過ちを繰り返さないと誓う8月、重い腰を上げる首相

 

 8月になると、戦争や原爆のことに触れる機会が増えます。なんて愚かなことをしたのだろうかと、この季節になると思うことです。

「なぜ」と思えば、昭和史が気になり、そこに登場する人物たちは何を考え、その頭の中は何よって支配されていたのかと考えます。そうした歴史から何かを学び、その中から何かを正していけばより良い方向に近づいていくのかなと思うのもこの季節です。

広田弘毅」、第三十二代総理大臣、その前後において外務大臣として活躍し、「私の在任中に戦争は断じてないことを確信している」と述べたものの、軍を止めることできず、戦後の東京裁判で死刑の判決を受けた唯一の文官です。

 敗戦、米軍による占領、そして、独立。戦前イギリス大使を務め、戦後総理大臣となる吉田茂と知り合い、懇意を深めた「白洲次郎」。戦後、吉田茂に請われ、GHQを向こうに回し、八面六臂の活躍をし、日本国憲法公布に立ち合ったといいます。

 その後も、不可解な事件、安保闘争など脈々と歴史はつながって今日に至ります。

 

 

 岸田首相が内閣改造自民党の人事に言及し、新たに入閣する閣僚や現職閣僚に対し、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)やその関連団体との関係について点検と結果の公表を指示する考えを表明したといいます。 

岸田首相、内閣改造・自民党役員人事を来週実施と明言-広島市で会見 - Bloomberg 

 ようやくとの感も否めませんが、国民が納得する形で綱紀粛正を図ってもらいたいものです。

 戦後から脈々と続く、黒歴史に終止符を打って欲しいとも思います。

論語に学ぶ

樊遅(はんち)仁を問う。子曰わく、人を愛す、と。知を問う。子曰わく、人を知る。樊遅未だ達せず。子曰わく、直(なお)きを挙げて諸(これ)を枉 (まが)れるに錯(お)けば、能(よ)く枉れる者をして直から使(し)む、と。

樊遅退き、子夏(しか)を見て曰わく、郷(さき)に吾 夫子(ふうし)に見(まみ)えて知を問うや、子 直きを挙げて諸れを枉(おう)に錯けば、能く枉者(おうしゃ)をして直から使むと曰えり。何の謂いぞや、と。

子夏曰わく、富めるかな言や。舜(しゅん)の天下を有(たも)つや、衆より選びてで皐陶(こうよう)を挙げ、不仁者(ふじんしゃ)は遠ざかる。湯(とう)の天下を有つや、衆より選びて伊尹(いいん)を挙げ、不仁者遠ざかる、と。(「顔淵第十二」22)

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 出来の悪い弟子の樊遅が「仁」や「知」について孔子に問うと、

直きを挙げて諸を枉 れるに錯けば、能く枉れる者をして直から使む

と答えます。この意味を理解できない樊遅は同じく弟子の子夏にその意味を聞きます。

「舜が天子となったとき、多くの臣下の中から皐陶を抜擢して任用したので、「不仁者」人格者でない者は遠ざかった。湯が天子となったときも、多くの臣下の中から伊尹を抜擢したので、「不仁者」は遠ざかってしまったではないか」と教えたそうです。

 問題のある団体との関係性が指摘される議員たちの対応は誠実さを欠いていないでしょうか。こうした人たちを排除していくためにも、「直き者」を要職に抜擢する必要があるということなのかもしれません。官房長官人事にそれが現れるのでしょうか。

 

 

 また今後、この問題がどう扱われていくのかも気になります。団体の実態解明を進めて欲しいものです。

旧統一教会巡る相談12倍に 「5億円献金」、2世からも:東京新聞 TOKYO Web

 今回の政治のドタバタを見ていると、その影響が社会に根深く浸透しないかとも憂慮します。いつのまにやら対立が激化するようになったのも、こうしたことが影響したのでしょうか。安易に決めつけ、分類やカテゴライズしたり、そうしたことで分断が進んだように感じます。

 こうした問題はどうすれば解消できるのでしょうか。

 いつの時代でも社会が悪化するときには、宗教や道徳が悪用され、「義」や「正邪」、「善悪」の判断を狂わせ、暗示や洗脳したりするのではないでしょうか。こうした悪用を防ぐためにも、それを正しく知るということが求められているのかもしれません。宗教を悪用した犯罪が、宗教に対する偏見につながることを防がなければならないのでしょう。

 

 

論語」も儒教の経典のひとつですが、個人的には宗教の側面というよりは、渋沢栄一が説いた「論語と算盤」、道徳経済合一説に興味をもっています。道徳には経済を律する役目もあるということでしょうか。

 また心身の健康を保つことための「ヨーガ」「瞑想」は仏教に通じています。

「色即是空、空即是色」、仏教 般若心経の一節です。

「空」を説き、人間の煩悩や妄想を取り除くねらいがあるのと同時に、執着がなくなれば、あらゆるものがそれぞれの働きをもって生き生きと現象し存在しているとします。また、そこに到達するための修行が瞑想とも説いています。

 同じく仏教思想のひとつに「唯識」というものがあります。科学、哲学、宗教の三面をもつ思想といわれ、「すべては心の中の出来事にすぎない」とする大乗仏教の根本思想によるものといいます。

 この唯識では、心に生じる感情や思考は表層に現れると説き、現代の脳科学に通ずるものがあります。科学が発達していない時期に、脳の働きを解明した、インドの無著と世親兄弟には驚かずにいられません。

 一方で、脳科学の関心事は、すべての物質のなかで神経細胞を有する脳がなぜ意識を持ち、「私」という主体が生まれのかを解明しようとします。そして、脳は他者との関係性の中でダイナミックに変化していくといいます。

 しかし、科学的なアプローチによって解明しようにも、まだ道半場で、わからないことが多々あるといいます。哲学や宗教からアプローチすることも必要なのかもしれません。

 

 

 急激に社会が変化はじめ、感情を大きく揺さぶられることが増えています。脳科学からしても、そうなることはごく自然なこととするのでしょう。また、仏教から言えば、その反応は、煩悩とか妄想なのかもしれません。

 それはまた人それぞれで違う反応を引き起こすことになるのではないでしょうか。そうした反応をポジティブな方向に向けるのが、道理とか道徳の役目なのかもしれません。

 そして、それを支えるのが宗教の役目だったりするのでしょうか。キリスト教は慈愛を説き、仏教は慈悲を説きます。また、論語は仁や忠恕を説きます。それらは他者との関わりを説き、自己への誠実と思いやりが大切といっています。そして、洋の東西を問わず、「中庸」、「中間」を良しとします。偏ってはならないといいます。

 今年の夏は、改めて宗教のことを考える機会になったと感じます。

 

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「参考文書」

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