愛媛県松山市の市役所職員のために設けられている厳しい身だしなみルールについて、市議会で質疑があったそうです。
質問に立った梶原松山市議は、「若い職員から「学校みたい」と笑われているのを知らないのでしょうか」と質問したといいます。
「悪しき昭和のにおいがする」松山市職員“身だしなみルール”が厳しすぎる?結婚指輪以外の装飾品禁止、ミニスカ・ヒールもだめ!まるで「学校のようだ」 | TBS NEWS DIG (1ページ)
松山市役所内に掲示されているルールには、服装などの規定があり、「華美でない・カジュアル過ぎない仕事に相応しいものを着用する(肌の露出の多いものは不可)」とあるそうです。
TBSによれば、「髪を意図的に染めることは不可」、「結婚指輪以外の装飾品は身につけない」、「ミニスカートは不可」などの規定もあるといいます。
「フレキシブルな働き方を推進しようとしている社会の流れに抵抗するかのごとき悪しき昭和のにおいがしてなりません。こういう規定はハラスメントではないのかと」梶原市議は指摘したそうです。
これに対して、「身だしなみとは接する相手に不快感を与えないことを第一に考えた身なりのことをいい、重要な接遇マナーの一つと認識しています。ハラスメントとは考えておらず、現時点で見直しは考えておりません」と、市の総務部長は反論したそうです。
論語に学ぶ
麻冕(まべん)は礼なり。今や純(いと)は倹(けん)なれば、吾は衆に従わん。下に拝するは、礼なり。今 上に拝するは、泰(おごる)なり。衆に違(たが)うと雖(いえど)も、吾は下に従わん。(「子罕第九」3)
麻冕を着用するのが、正礼の規定でありますが、今は、絹糸製の冕が安価であるので、私も衆人と同じようにしよう。臣は堂から下って拝礼するのが正礼である。ところが、今は、ただちに堂に上って拝礼しています。しかし、それは驕りであり、私は衆人と違うとはいえ、堂下から拝礼することを守ると、孔子が言いました。
時代とともに「礼」、「マナー」の形は変化するということなのでしょう。しかし、そんな中にも変えるべきではないものもあるということなのでしょう。
行政サービスに携わる者が、接遇を学んだり、マナー向上に努め、適宜ルールを改定し、そのサービスの質を維持、メンテしていくことは悪いことなのでしょうか。マナーが低下して市民を不愉快にさせることはあってならないことのように思えます。
問題提起した市議はブラック校則と混同したのでしょうか。
孔子、郷党(きょうとう)に於いては、恂恂如(じゅんじゅんじょ)たり。言(ものい)うこと能(あた)わざる者に似たり。其の宗廟、朝廷に在(あ)りては、便便として言う。唯 謹(つつし)むのみ。朝(ちょう)にして下大夫(かたいふ)と言えば、侃侃如(かんかんじょ)たり。上大夫(じょうたいふ)と言えば、誾誾如(ぎんぎんじょ)たり。君在(いま)せば、踧踖如(しゅくせきじょ)たり、与与如(よよじょ)たり。 (「郷党第十」1)
孔子は高い地位についても、近所の寄合いなどに出るときは、おだやかで威張ったふうもなく、うまくものがいえないかのようであった。ところが君主の先祖を祭った廟や君主の政務を行う場所に出ると、弁舌さわやかにてきぱきと発言したが、しかも謹厳な態度だけは失わなかったそうです。政庁においては、下位の人たちと話すときは、和らぎ楽しく、上位者には、ごく普通に接していたといいます。国君が政庁に出御されると、うやうやしくされ、また威儀は当を得たものであり、ゆったりしていたそうです。
このような教えが残るのは、普通の役人たちはこれに反し、近所の人たちの前では役人風を吹かせて威張り、偉い人のたくさんいる場所へ出ると、急にペコペコとうやうやしい態度をとる。孔子はこれに反して、どこまでも穏やかな、しかし、責任を痛感している人間的な役人であったと桑原武夫は解説しています。
G20外相会合がインドネシアのバリ島で開幕します。それに先立って、ロシアのラブロフ外相がベトナムを訪問し、世界は複雑な形で変化していると述べ、世界の全当事者に国際法を順守するため取り組むよう訴えたといいます。
世界は複雑な形で変化、国際法順守を ロシア外相が訴え | ロイター
時が経過し変わるものもあるのでしょう。しかし、変えてはならないものもあるはずです。
人に迷惑を掛けない、不愉快な思いをさせない、守るべき最低限なことは普遍的なことではないでしょうか。それを度返しして、自己都合で法を解釈して、その遵守を求めるのはどうなのでしょうか。
議長国インドネシアは、たいへん難しい役回りなのかもしれませんが、成果を得られるよう調整を尽くして欲しいものです。
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松山市議会で質問した市議は、「職員を信頼してですね、市民に対して清潔感があって不快感を与えない服装ということで職員が自ら服装を決めればいいのではないかなと思います」と述べたそうです。
そうあるのが理想なのでしょう。しかし、いつになってもそうした理想が実現しないのもまた現実です。それ故、古来秩序を維持するためにルールやマナーが設けられてきたのではないでしょうか。