「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

大学の新しい学科ではどんな人材が育つか、武蔵野大学にサステナビリティ学科、国立女子大には工学部

 

 大学において新たな学部が設置されると聞くと興味がそそられる。時代の移り変わりとともに必要となる専門知識も変化するということなのだろう。

  国立高等専門学校機構が、半導体人材の育成事業を始めるという。昨今の半導体不足や半導体産業の再興を目指す動きを鑑みれば、最新の半導体知識を学ぶ機会を提供することは価値あることなのだろう。 

 

 

 武蔵野大学では「工学部サステナビリティ学科」が新設される。

 人間社会や地球環境のサステナビリティに対する深い理解に基づき、ソーシャルデザイン及び環境エンジニアリングの知識・方法・技術によって、サステナブルな世界の実現に貢献できる人材を養成するという。

武蔵野大学、工学部サステナビリティ学科を2023年4月に開設 | ICT教育ニュース

 ICT教育ニュースによれば、ソーシャルデザインと環境エンジニアリングを通して人間社会と地球環境のサステナビリティを実現する力や、企業や行政、NPOなどで推進する力を身に付けた人材の養成を目指すそうだ。

 環境危機や貧困格差、人権・難民問題などのさまざまな環境・社会問題を解決していくためには、サステナビリティ 持続可能性やSDGsの考え方の重要性はますます高まっていることが背景にあるという。学科の学びの中心となる実践型プロジェクトでは、現実社会の課題を見つけ、企業や地域社会と連携し、現実社会の課題解決および解決に向けた先進的な研究に挑戦するという。

 社会課題解決を一義とする人材をぜひ育てて欲しいと願ってしまう。

 

 

論語に学ぶ

「君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る」(「里仁第四」16)という。

「君子は道理を理解し、小人は損得を理解する」と意味する。」

 学び得た専門知識を「義」のために使う人物が輩出されるようになればいいのだろう。専門知識を「利」のみに悪用する小人ばかりを育成するようであれば、社会課題の解決に結びつけようとする高貴な目的に反してしまうのかもしれない。

dsupplying.hatenadiary.jp

 国立の女子大学では工学部の創設が相次いでいる。奈良女子大学では工学部工学科を新設され、「プロジェクトリーダーやエンジニアリングイノベーターになれるような創造的女性エンジニアの育成」を目指しているという。

国立女子大で「工学部」が相次ぎ新設される背景 | 特集 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース

 東洋経済オンラインによると、この学科の大きな特徴は、リベラルアーツ教育(自由7科として定義され、文法、論理、修辞、算術、幾何、天文、音楽で構成される)やSTEAM教育(STEM:科学・技術・工学・数学にアートを加えた教育)を1年次に厚く行うことにあるという。

「人間や社会について学んでから、よい社会にするためにエンジニアリングをどう使うか、という流れで学んだほうが、興味を持ちやすいと考えた」(出所:東洋経済オンライン)

 

 

 御茶の水女子大学では、「共創工学部(仮称)」を新設する準備を進めているそうだ。

工学部につけられた「共創」は、「複数の技術」「文系と理系」「社会」という3つの共創により社会課題を解決する意味が込められている。カリキュラムにも「共創」を生み出す仕掛けがなされる。(出所:東洋経済オンライン)

 今「共創」が求められているのは間違いないのだろう。

 元来、課題解決において協力、協調は絶対要素であったはずだが、いつしかないがしろにされ、その悪弊が今の世ということなのかもしれない。そのために、共創をテーマにし、工学的にアプローチしていこうということであろうか。問題の根幹を探り、共創のあり方を問うことはいいことなのだろう。ただ、共創のテクニックばかりを学ぶ学問ではあっては欲しくない。

 

 

「古(いにしえ)の学ぶ者は己の為にし、今の学ぶ者は人の為にす」と、論語「憲問第十四」24にある。

「昔の学徒は、自己を鍛えるために学ぶことに努めていたが、今の学徒は、他人から名声を得るために学び努めている」と意味する。学問の成果は、自己の人格や生を高めるという自己目的的なものであって、名利には存しないと桑原武夫はいう。

 専門知識の学習で、自己の人格形成が進み高まり、それらをもって課題解決に向かえば、「誰ひとり取り残すこと」のない社会に近づいていくのかもしれない。それが孔子の説く「仁」ということではなかろうか。