「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

不確実な社会で、内向きになり過ぎないように

 

 不確実性なる言葉を頻繁に耳にするようになった。コロナ渦に、ウクライナ危機、この先がどうなるかを予想しにくく、その対応もまた難しい。たいへんな時代になったものだ。続く国際物流の混乱、品不足、価格高騰に為替の変動などなど。

 こうした状況が続けば、内向きにならざるを得ないのかもしれない。テレワークの増加に、これまでの移動制限などもその傾向に拍車をかけたのだろう。

 大統領選をひかえるフランスでは、内向き政策を掲げるルペン候補が支持を広げ、前回の大統領選ではマクロン大統領に大敗したが、今回は支持率が拮抗しているという。

仏各地で極右ルペン氏当選阻止デモ、24日の大統領選決選投票控え | ロイター

 一方、フランス各地で、24日の大統領選決選投票で極右候補のルペン氏が当選するのを阻止しようと、数千人がデモを展開したとロイターが報じる。

パリ中心部では数千人が集結して反右翼スローガンを連呼し、ルペン氏が勝利すれば民主主義に大変動が生じると警告した。あるプラカードには、「極右に反対。正義と平等のため、ルペンをエリゼ宮(大統領官邸)に入れてはならない」と書かれていた。(出所:ロイター)

 24日の大統領選の結果が気になる。自然は飛躍せず、一定の連続性があるものだ。内向きな志向はどの程度増加することになるのだろうか。

 

 

論語に学ぶ

徳の脩(おさ)まらざる、学を講せざる、義を聞きて徙(うつ)る能(あた)わざる、不善改むる能わざるは、是れ吾が憂えなり。(「述而第七」3)

「徳が積もらないこと、学習が進まないこと、義を聞いても実践できないこと、不善をば改めることができないこと、これらが私の悩みである」と意味する。

dsupplying.hatenadiary.jp

 今この不確実と言われる時代だからこそ、「義」を考えては実践し、「不善」を改めていく行動が求められ、そのために学習があって、行動を通して徳を積み、高めていくことが要求されていると、孔子は教えているのではなかろうか。

「義」とは、条理、道理にかなっていること。人道に従うことなどを意味し、正しいことを実践していく道という。

 

 

 内向きであることが「不義」とは言えないまでも、この不確実な時代における諸課題からすれば、本筋から外れた邪道で、望ましくない方法なのかもしれない。

 地政学リスクを考慮、サプライチェーンを見直しつつ内需に応え、それを軸に外需を取り込み成長の糧にする。その上で、効率を最大化できるようデジタルにも取り組むという流れのが自然ではなかろうか。

 内向き過ぎずに、外にも目を向けて貢献も果たしていく。どちらにも過ぎず、不及とならぬよう心掛けるようになれば、持続的な成長もあるのではなかろうか。

 まだまだ国際社会を含め世の中、「不善」がたくさんある。たとえば、資源大国が理不尽にも紛争を起こす一方で、自国の資源を売り続け、その代金が紛争を続けるための道具になっているのなら、これこそが最大の不善なのかもしれない。また、それによってもたらされている、物価の異常な高騰や混乱なども「不善」と言っていいのではなかろうか。

 

「関連文書」

新興国もロシアの侵攻に「ノー」を (The Economist): 日本経済新聞