「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

言論の自由が奪われるロシアと日本、首相をやじって排除された事件に判決

 

戦争が長引かせようとする人より、平和を望む人の方が遥かに多いのではないだろうか。そんな民衆の声を無視するようにして、今も戦争は続き、甚大な被害が拡大している。

 ロシアでは反戦を主張すれば、偽情報を流したとして処罰され、最長で15年の懲役刑を科されるというが、海外に暮らすロシア人の中には、勇気を奮って、声をあげる人々もいる。日本に滞在しているロシア人を神奈川新聞が取材し、その嘆きの声を伝える。

「抗議デモに参加してSNSにアップすると、ロシアに住む親族から罵倒された」

 そう答えたのは50代のロシア人女性。これまで親族が住むウクライナ東部のドンバンス地域で虐殺があったとは聞いたことがないという。しかし、それを口実にしてロシアは戦争を始めた。ただロシアに住む親族は未だに当局の嘘を信じているという。

 

 

 2019年の参院選の期間中、札幌で街頭演説していた当時の安倍首相に「増税反対」とやじ飛ばした男女2人が警察によって、その場から排除される事件が起こり、排除された2人が北海道に対し慰謝料などの損害賠償を求めた訴訟の判決が昨日25日に下されたという。

 判決で警察官の行為は違法と言わざるを得ないと指摘、「安倍やめろ」という表現は「表現行為」とし、憲法上の権利として尊重されるべきであって、原告が声をあげた直後に排除されたのは、表現行為を制限しようとしたと推認されるとしたという。

 神奈川新聞によれば、武蔵野美術大学の志田教授は「公共の福祉の観点から、警察による市民の言動制限を是認する傾向があった」といい、政治的な発言を控える雰囲気を打破するインパクトのある判例と述べたという。

 この事件では、北海道警に取り押さえられた男女2人が別々に警察官の職権乱用に当たるとして告訴したが、札幌地検は不起訴にしていたという。安倍政権当時のことだが、警察、地検はなぜそのような対応をしたのだろうか。

 こうしたことに対する行き過ぎた処罰は、今はロシアを彷彿させる。

論語に学ぶ

名正しからざれば、則ち言順(げんじゅん)ならず。言順ならざれば、則ち事成らず、事成らざれば、則ち礼楽(れいがく)興(おこ)らず。礼楽興らざれば、則ち刑罰 中(あ)たらず。刑罰 中たらざれば、則ち民 手足を錯(お)く所無し。

故に君子 之を名づくれば、必ず言う可し。之を言えば、必ず行う可し。君子は其の言に於いて、苟(いやしく)もする所 無きのみ、と。(「子路第十三」3)

「名が正しくなければ、言葉と論理が妥当でない。言葉と論理が妥当でないと、政事が達成されない。政事が達成されないと、礼楽が盛んとならなくなる。礼楽が盛んにならないと、刑罰が当を得なくなる。刑罰が当を得なくなると、民には不安でゆっくり手足を伸ばして安らかに暮らすことができなくなる。だからこそ、君子は、名づければ、主張の筋を通すことができ、それができると政事ができる。その発言においては、軽はずみがあってはならない」と意味する。

dsupplying.hatenadiary.jp

 政治にせよ、何にせよ、その行為は、「民が安寧な暮らしをおくることができる」、そこに帰着していくということであろうか。

「礼楽」とは、規範や道徳のことをいう。社会秩序を定める礼(規範や道徳を形としてあらわしたもの)と、人心を感化する楽。転じて文化となる。

 

 

 政治家が善政を布き、徳治政治が行われれば、そんな酷いやじが飛ぶことも少なくなるのだろう。やじを飛ばす人を処罰するのではなく、政治家自身が己を省みて、正すべき正し、自身の徳を高めていかねばならないのだろう。

 徳を得てはじめて、他者の苦しみがわかるのかもしれない。他者の苦しみがわかれば、非人道的な戦争を続けることはできないはずだ。