石原慎太郎氏が89歳で亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします。
歯に衣を着せず、時に過激な発言、保守派の論客。
都知事時代には、ディーゼル車から排出される煤を振りまいて、ディーゼル車の排ガス規制に取り組み、また、尖閣諸島を東京都が買い取る意思を示し、それが国有化へとつながっていきました。
「其の鬼に非(あら)ずして之を祭るは、諂(へつら)うなり。義を見て為さざるは、勇無きなり」(「為政第二」24)
数々の功績と失敗。行動力あるリーダーだったのでしょう。
2012年10月に突然都知事を辞任、日本維新の会に合流し国会にも復帰、当時の維新の会の共同代表にも就任しました。
しかし、2014年には政界を引退、「歴史の十字路に何度か身をさらして立つことができたのは、政治家としても、物書きとしてもありがたかった。言いたいこと言って、やりたいことやって、人から憎まれて死にたいと思います」と話されていました。
論語に学ぶ
「朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」(「里仁第四」8)
石原氏の心情は、こんな面持ちだったのでしょうか。
菅直人元首相のTwitterへの投稿が物議を醸しているようです。維新の会の馬場共同代表が、国会内の菅氏の事務所を訪れ、抗議文を手渡したそうです。
菅直人元首相と維新・馬場共同代表が舌戦20分(1/4ページ) - 産経ニュース
失礼かもしれませんが、年相応な発言に感じられませんでした。喩えを用いるにしても、もう少し適切な表現があるのではないでしょうか。
「吾 十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)う。
七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず」(「為政第二」4)とあります。
70歳にもなれば、自分のこころの求めるままに行動しても、規定・規範からはずれるというようなことがなくなったと、孔子はいいます。
菅直人氏ももう70半ばのはずです。
配慮を欠く発言で物議を醸すことも多かった石原氏でしたが、その後は潔く撤回することも多くありました。
石原さんは厳しいこと仰るんです。
けど、いざ話し始めるとサービス精神旺盛で、話がとまらなくなる方でした。一見強面だけど、繊細なところがある人で、核心を突いた質問をすると一瞬違う雰囲気をみせるんですが、丁寧に細やかに答える方でした。(出所:日テレNEWS24)
築地市場の豊洲移転問題では、2017年に都議会に設置された百条委員会に証人として出席し、都知事当時の経緯の説明を求められ、「脳梗塞(こうそく)を患い、記憶を引き出せないことが多々ある」と、それまでの「石原節」とはかけ離れた発言をし、弱々しい姿も見せる場面もありました。
「四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)う」。
おこがましいですが、石原慎太郎氏はこんな生き方をされたのでしょうか。
菅直人氏と石原氏との間に何か大きな違いがあるように感じます。
同じ度が過ぎる言葉でも、その後の対応で印象は変わるのでしょう。また、そこにその人なりの人柄が現れるのかもしれません。
「参考文書」
石原慎太郎氏が死去、89歳 都知事、運輸相を歴任―芥川賞受賞、保守論客:時事ドットコム
【解説】歯に衣着せぬ「石原節」も…石原慎太郎氏の生涯を振り返る
「関連文書」