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「新しい資本主義」と「共同富裕」、その違いは何であろうか ~ 炉辺閑話 #88

 

米国の投資会社の創業者が、中国が進める「共同富裕」の取り組みを評価し、米国などの国々も富の格差を縮小するよう促したといいます。

ダリオ氏が中国の「共同富裕」を称賛-米国も見習うべきだと主張 - Bloomberg

 ブルームバーグによると、これは1500億ドル(約17兆3000億円)の資産運用を行う米投資会社ブリッジウォーター・アソシエーツの創業者、レイ・ダリオ氏の発言といいます。

 中国の共同富裕について、国民の間でのより公平な富と機会の再分配に加え、人材プールの拡充に寄与すると指摘。(出所:ブルームバーグ

 また、「米国は独自のシステムを通じ、国民共通の繁栄をさらに進める必要があり、他の多くの国々も同じだ」と述べたといいます。

 競合の揚げ足取りして、それを邪なものとすれば、自らを正当化することは出来ます。しかし、各々どれが道理にかない、普遍的な価値あるものなのかを見極めろとのことなのかもしれません。

 

 

 経済が創出する所得と支出、資産と負債、内政と対外関係といったことを基準とすれば、ダリオ氏は米国の方がよりリスクの高い投資先だと分析したといいます。

「(米国は)より多くの高リスク要因を抱えており、教育レベルや競争上の優位性などは低下している」と説明、テクノロジーは依然として米国にとって明るい側面だが、変化のペースは中国よりも遅いとも述べたそうです。

 日本もダリオ氏が指摘する米国と大きな差がないのではないでしょうか。こうした状況を鑑みれば、「新しい資本主義」が提唱されるのもわかるような気がします。政府は中国の「共同富裕」を参考にしたのでしょうか。

「共同富裕」とは、貧富の格差を縮小して社会全体が豊かになることをいうそうです。高すぎる所得を合理的に調節し、高所得層と企業が社会にさらに多くを還元することが奨励され、所得の高い人や大手企業に寄付などを促しているといいます。

「共同富裕」って何なの?習近平政権のねらいは? | 習近平 | NHKニュース

 NHKによれば、中国の大手IT企業を中心に巨額の資金の拠出を表明する動きが相次ぎ、「共同富裕」の方針に追従する動きを見せているそうです。その背景には巨額な罰金が科せられたり、規制強化があるようですが。

 一方で、締めつけ強化は、企業活動を萎縮させ、技術革新などが生まれにくくなり、株価の下落につながりました。企業の資金調達が難しくなることで、結果的に中国の経済成長の妨げになるおそれもあると指摘されているといいます。

 

 

論語の教え

「麻冕(まべん)は礼なり。今や純(いと)は倹(けん)なれば、吾は衆に従わん。下に拝するは、礼なり。今 上に拝するは、泰(おごる)なり。衆に違(たが)うと雖(いえど)も、吾は下に従わん」と、「子罕第九」3にあります。

 「麻糸製の麻冕を冠(かぶ)るのが、正礼であるが、今は、絹糸製の冕が安価であるので、古礼から外れるが私も衆人と同じようにしよう。臣は君主に拝礼するとき、堂から下って拝礼するのが正礼である。ところが、今は、ただちに堂に上って拝礼しているが、それは驕りである。私は衆人と違うとはいえ、正礼通り堂下から拝礼することを守る」ということを意味します。

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 礼、規範、マナーなども古代から時代変遷とともに変化するということなのでしょう。その中で、守り続けるべき普遍的なものと、そうでないものがある、麻冕のようなモノであれば、より安価なものにとって代わっていくことは許容できるが、変えるべきでないマナーや規範、ルールもあるということを孔子は言おうとしていたのではないでしょうか。

 

 

「子 四を絶つ。意なる毋(なか)れ、必なる毋れ、固なる毋かれ、我なる毋れ」と、「子罕第九」4にあります。

「意、必、固、我の四つは、誰にも無くてはならないものであるが、この四つには、決して「私」があつてはならない」との意味だと、渋沢栄一はいいます。

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「元来、意、必、固、我を全く絶つといっても、これを完全に無くしてしまうことはできない」。「孔子の教えもまたこれを全然なくしてしまうというのではなく、この四つに「私」字を補って見るのが適当」と栄一はいいます。

すなわちこの四者が私に根ざして不道理に働く場合を絶つというのである。換言すれば、何事を行うにしても必ず道理に適い、徳義に反せず、至公至平であれと教えている。(参考:「実験論語処世談」渋沢栄一記念財団

「己の意にこだわるな、決めたことにこだわるな、執着するな、利己的になるな」ということでしょうか。

 たとえば国ひとつとっても、行うことすべてが絶対に正しいということはないのでしょう。色々な主義がありますが、どちらをとっても弱点はあるものですし、完璧ではあるはずがありません。完璧であるなら、格差社会のような社会課題が生まれることはにはずです。○○主義に執着せず、その弱点を補って、公平無私に徹せよということが求められるようになってきているのかもしれません。