「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

忘れてはならない政治家による私物化、忘れられた良心

 

 NTTが、調達先の人権監査を2022年から始める方針だという。年間40~50社の実地監査を行い、人権の遵守状況を確認するそうだ。

 対象は国内外の取引先で、富士通NEC、アップルやアマゾン、マイクロソフトなどが含まれるという。これまでは年に1度、労働環境に対するアンケート調査のみで、現地確認は行っていなかった。大口調達先に出向き、虐待や差別の有無、安全・衛生管理の状況確認、問題があれば是正を促し、対応しない場合は取引停止にするそうだ。

 背景には、欧米で「人権デューデリジェンス」を義務付ける法整備が進んでいることもあるようだ。アクションが遅いようにも感じる。これがきっかけにして、国内企業においても同様の動きが増えればいいのだろう。

 NTTが監査する企業には、既に人権に関して取り組みが進んでいるところも含まれるのだろう。監査することでそうした先駆的事例を学ぶ機会にもなるのかもしれない。

 しかし、人権に関して、なぜ、こうも国内企業の対応が遅いのだろうか。企業の関心が低かっただけのことなのだろうか。それとも政府方針の影響もあったりするのだろうか。  

 

桜を見る会

桜を見る会」の一連の問題で、東京地検特捜部は嫌疑不十分で不起訴にしたという。この結果を受け、捜査は事実上終結するそうだ。

桜を見る会」、毎年春に各界で功績のあった人を慰労する目的で開催されていたという。その会の前日には都内ホテルで格安の夕食会が開かれ、当日の桜を見る会には、預託商法で起訴された人物を招待していたのではないかとの疑惑もあった。こうした行為は「私物化」と揶揄、批判され、問題指摘された国会では虚偽答弁を繰り返していたと事実が残った。また、この疑惑に満ちた桜を見る会に関係する資料は廃棄され、公的文書のずさんな管理が明るみになった。

 法に抵触しなければよいというような雰囲気が蔓延することになったのではなかろうか。法治国家の瓦解といっても言えそうな事態と危惧を感じていた。

孔子 季氏を謂う。八佾 庭に舞わしむ。是れ忍ぶべ可んば、孰れを忍ぶ可べからざらん」と、論語「八佾第三」1にある。

 魯国の実力者季氏が、君主の桓公の分家ということをいいことに、天子の真似をして、天子のみが行っていた八佾の舞を行うようになり、これを知った孔子が、天子と同格になると、批判したのがこの章の意味といわれる。

dsupplying.hatenadiary.jp

桜を見る会」、天皇陛下が模様される「園遊会」を模してのことなのだろうか。首相してはずいぶんと僭越な行為だったのかもしれない。コロナ禍前のことはいえ、社会課題が山積し、その解決が求められる中で、こうしたことを国のリーダーが平気でできてしまうのだから良心も何もない。そのリーダーだった人がいま与党最大派閥の会長に君臨している。  

 

論語の教え

「人にして不仁ならば、礼を如何せん。人にして不仁ならば、楽を如何せん」と、「八佾第三」3にある。

「仁」とは、主として人間に対する愛情を意味し、広くは人間として備えているもの、「人道」、「人格」をさすといわれる。礼楽は仁から生まれたものといわれ、不仁なる者が礼楽を知るはずもない。

 萩生徂徠は、この章は「上にある人」への教えだと解し、仁は「安民の徳」であって、天下を安んじることのできないものが、礼楽を行うことは出来ないと読む。 上にあるものが、利己的に振舞って、天下が安んじることはあるのだろうか。

dsupplying.hatenadiary.jp

桜を見る会」も、慰労目的であってにも関わらず、実際には異なったものになったのも、不仁なる者が執り行ったからなのだろう。これがどんな影響を社会に残したのだろうか。企業の人権に対するアクションが遅れたことも理解できる。

 もうひとつの与党の元議員が貸金業法違反の罪で在宅起訴された。こうしたことも悪影響のひとつとしてあげてもいいのではなかろうか。