「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

またも膨大な事務費、呆れる財務相の言い訳、積極財政の弊害か ~ 炉辺閑話 #70

 

 新型コロナの経済対策として実施される給付金でまた膨大な事務費がかかるという。

 これに対して、鈴木財務相は「過去の類似事業と比べて過大な水準ではない」として、妥当だという考えを示したそうだ。

鈴木財務相“967億のクーポン事務費は過大でない”発言に「税金は誰のもの?」と非難轟々 | 女性自身

 放漫財政に呆れるしかない。事務手数料を徹底的に削減するという小さな改善を実行できずして、どんな施策も実行などできるはずがない。

 効率化を追求するはずのデジタル社会、どこ吹く風といっていいのではなかろうか。

 

 

スマートシティ、デジタル田園都市国家構想

 岸田首相が、スマートシティ先進地、会津若松で車座の意見交換を行ったという。

 NHKによれば、「最新のデジタルを活用して、地方の可能性を大きく花開かせていこうという取り組みを進めている。そのためには、まず地方にこそ、デジタルの基盤となるインフラを優先的に敷設して実装していく」と述べたという。

 会津若松がスマートシティに取り組み始めたのは、10年近く前のことだ。それだけの歳月をかけても、まだまだ改善の余地、効率化できることがあるのだろう。こうした先駆的な取り組みはモデルケースになるのかもしれないが、それを模倣するのなら、そうはなかなかうまく実行できるとは限らないだろう。

 まずは根幹をしっかりさせ、その後、枝葉を茂らせるべきだろう。そうでなければ、ムダばかりになることは自明である。地方も重要であろうが、まずは中央のデジタル基盤の整備と効率化の徹底追及が急務ではないのだろうか。

積極財政

 最近では、「積極財政こそが経済成長を生み出す」という「新しい見解」が主流となっているという。

日本経済が成長しなくなった、あまりにも「残念」な理由 | 変異する資本主義 | ダイヤモンド・オンライン

政府が公共投資によって、需要を拡大し、「高圧経済」の状態を作り出すことができれば、民間投資が誘発され、供給力が高まり、経済成長が可能になる。しかも、高圧経済を維持するためには、政府は財政支出を一時的に拡大するだけではなく、長期間、継続する必要があるかもしれない。(出所:ダイヤモンドオンライン)

 

 

「高圧経済」とは、需要が十分にあって、労働市場がタイトな状態の経済を指すという。高圧経済下では、大きな需要が存在することから、企業は積極的な投資を行って、生産能力を拡大する。また、技術開発投資や起業も活発に行われる。雇用機会が十分にあり、労働市場がタイトであるため、労働力はより生産的な仕事へと移動するという。

 積極的な財政金融政策は、カンフル剤ではなく、長期の成長戦略でもあると記事は指摘する。

 経済成長を是とすれば、こうした論理もあるのだろう。ただそれは経済成長だけを追い求めようとするための言い訳にも聞こえてしまう。経済成長だけで、すべての人々の苦痛を救い、楽しみを与えているのだろうか。将来不安を緩和できるのだろうか。

上杉鷹山

江戸中期の頃の上杉家は、借財が20万両に累積する一方、石高が15万石でありながら初代藩主景勝の頃からの慣習のまま、会津120万石時代の家臣団を抱えていた。また家臣も上杉家へ仕えることを誇りとして離れず、このため他藩とは比較にならないほど人口に占める家臣の割合が高かったそうだ。その人件費は藩財政にとって負担となり、それに加え、農村の疲弊や、自然災害による被害が藩財政を深刻なものにしていったという。

 名家の誇りを重んずるがゆえ、豪奢な生活を改められなかった藩主上杉重定は、藩領を返上して領民救済は公儀に委ねようと本気で考えたほどであったという。

 その重定を継ぎ新藩主になった上杉治憲(鷹山)は、竹俣当綱や莅戸善政を重用し、先代任命の家老らと厳しく対立する。藩主自ら徹底的に倹約を行ったが、江戸城西丸の普請手伝いを命じられ、多額の出費が生じて財政再建が進まなかった。

 一方で、天明の大飢饉では、東北の周辺国で多数の餓死者を出したにもかかわらず、倹約を進めた米沢では餓死する者も逃散する者も少なかったといわれる。

 

 

しかし、安永2年、七家騒動が起き、改革に反対する藩の重役が、改革中止と改革推進の竹俣当綱派の罷免を強訴するが、治憲はこれを退けた。こうした施策実行で、破綻寸前の藩財政は立ち直り始め、その後、次々代の斉定時代になって借債を完済したという。 

 この時、民の苦労は努力となり、努力が実を結ぶことで楽しみが増えていたのかもしれない。そうなれば、将来への不安も薄れていったのではなかろうか。

いつの時代も、改革は不人気なのものだろう。またそれを断行できる人物は稀有な存在なのかもしれない。

 そうであるから、「積極財政」の継続を唱える新理論なるものも登場するのだろう。積極財政を続ければ、借財を抜きにすれば、成長するのは自明だし、これほど楽で、人気を得られる方法はないのかもしれない。

論語の教え

「君子は食に飽くるを求むることなく、居(お)るに安きを求むること無し。事に敏に、言に慎み、有道に就きて正す。学を好むと謂う可(べ)きのみ」と、「学而第一」14 にある。

 経済成長なり、財政とは、腹いっぱいの美食を求めたり、豪華で心地よい住宅に住むという贅沢のためにあるものだろうか。

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 飽食なんぞはいつの時代でも、悪徳され、ましてSDGsが説かれるこの時代にあって、そんなことを開けっ広げにいうのではなく、途上国や弱者に目を向けることが求められてはいないだろうか。

事に敏に、言に慎み、有道に就きて正す。学を好むと謂う可きのみ

「有道」、上杉鷹山のような先王が体得した道を学び、そして、自らを正していく。こうしたことを実践していくことが学問であって、それあるべきなのだろう。

学問を好むというのは、理論を無視するのでは決してないが、それを内的にもてあそぶことではなく、理論をつつんで外にあらわれる自己の行動が道にかなっているかどうかを省察することだとするのである。 (論語 桑原武夫)   

 

 

異端を攻むるは、斯れ害あるのみ

 論語「為政第二」16 にある言葉で、「正統に背く「異端」、つまり異説を唱える者は、天下に害を流すばかり」と意味する。

 もしかして、「積極財政継続論」なる新説も、孔子が指摘した「異端」の一種なのかもしれない。

 長く積極財政を続け、借金を増やしたけれど、今のところ、「人々の苦痛を救い、楽しみを与えている」ことはなそうだし、逆に、将来に対する不安を助長していないだろうか。

 もうそろそろこうしたことを処断してもよいのではなかろうか。それこそ天下国家のためになるのかもしれない。

 

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