伝統とは、古くからの仕来りや様式などを受け伝えることをいう。そうした伝統も時代の変遷とともに、その時代時代の雰囲気を取り入れては少しずつ変化していくのかもれない。
「皇嗣」の秋篠宮さまが誕生日を前に、記者会見され、眞子さまのご結婚の際の3つの儀式を自分の判断で行わなかったと話された。
「そのことによって皇室の行事、儀式というものが非常に軽いものだという印象を与えたということが考えられます」と述べられたそうだ。
変わる伝統
孔子の弟子の子張が「十世知る可(べ)きか」と、この後次々現れるだろう十の王朝のことを今から予見できるでかと質問すると、孔子は、「殷(いん)は夏(か)の礼に因り、損益する所知る可し。周は殷の礼に因り、損益する所知る可し。其れ或いは周に継ぐ者、百世と雖(いえど)も知る可きなり」と、答えたという(「為政第二」23)。
殷の王朝は夏の王朝の礼制を受け継ぎ、その際に廃止(損)あるいは付加(益)したところはわかる。その次の周王朝についても同じことがいえる。もし周王朝を継ぐ王朝が出てくるにしても、十代どころか百代先まで予知できるのではないか。
伝統は必ずしも一定のまま引き継がれないということなのであろう。そして、後の時代になって、その当時はああいうことがあって、ああいう変化がおきたと、その理由を冷静に知ることになるということなのだろう。
誹謗中傷
秋篠宮さまは記者会見で、眞子さんが抱える複雑性PTSDの原因が、恐らく週刊誌やネット記事にあるのだろうとは思いますと言及し、「誹謗中傷」についてのお考えを示した。
「ただ、今そのネットによる誹謗中傷で深く傷ついている人もいますし、そして、またそれによって命を落としたという人もいるわけですね。やはりそういうものについて、これは何と言いましょうか、今ネットの話をしましたけども、誹謗中傷、つまり深く人を傷つけるような言葉というのは、これは雑誌であれネットであれ私としてはそういう言葉は許容できるものではありません」。(出所:FNNプライムオンライン)
また、バッシング記事等、一連の報道についても言及され、「今後もこういうことは多分続くでしょう」と述べられ、「一定の基準を設けてそれを超えたときには反論を出すとか、そういう基準作りをしていく必要があると思います」と話された。
「誹謗中傷」を考えるきっかけにすべきなのだろう。
皇室のあるべき姿
また、秋篠宮さまは皇室のあるべき姿について、「これは上皇陛下が言われていた国民と苦楽を共にし、そして国民の幸せを願いつつ務めを果たしていく、これが基本にある」と話され、「そして、それとともにやはりこう時代というのは変わっていきますので、その変化にも即した皇室であることが大切ではないかと思っております」と述べられた。
皇室だけが伝統にがんじがらめになり、古式ゆかしく暮らしていくこともできまい。それでは現代の国民の象徴の役目を果たせないのではなかろうか。
皇室の中から眞子さんのようなお人が登場するのも、時代変遷からすれば、ごく自然なことなのかもしれない。これを機にして、皇室も変わり、国民に範となる対応を示すことができればいいのではないだろうか。
論語の教え
「与(とも)に学ぶ可(べ)きも、未だ与に道に適(ゆ)く可からず。与に道に適く可きも、未だ与に立つ可からず。与に立つ可きも、未だ与に権(はか)る可べからず」。
「唐棣(とうてい)の華、偏(へん)として其れ反せり。豈(あに)爾(なんじ)を思わざらんや。室(しつ)是れ遠し、と。子曰わく、未だ之を思わざるか。何の遠きことか之有らん」と、「子罕第九」30にある。
「唐棣の華」は男女の間の情を述べた古い詩で、「唐棣の華はひらひらと枝を離れて散った。以前は二人は同居して居たが、今は居る所が隔ったために疎遠になった。しかし、お前を慕う情には変わりない、けれども、今は隔っているから思いが及ばないである」という意味だと、渋沢栄一は訳す。
栄一によれば、ある人がこれを引用して、「道に学ぶ事を欲しないのではないけれども、遠くして学び難い」との意を述べると、孔子はこれを諭して「それは未だ道を学ばん事を思わないのである。道は人の日常履み行う可き道であって、近く目前に在る。これを思えば直ちに学ぶを得る。何の遠いことがあろうぞ」と言われたのであると、栄一は解説する。
少し教訓的過ぎるきらいもある。
「人と人とが合致することは学問の上でも、実生活においても、至難である」とこの章の前段は意味し、しかし、人間社会には「愛」というものがあると後段で孔子が指摘したものだ」、と桑原武夫は解説する。
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「誹謗中傷」の問題を解決していくことは難しいのだろう。政治的に解決しようとすれば、法で規制することとなり、どことなく息苦しい。秋篠宮さまがいわれたように、「そういう言葉は許容できるものではありません」との感覚をみな共有できるようになるのがいいことなのかもしれない。良心を育てるきっかけが皇室にあったり、その導きになることも皇室のあり方のように思う。そうであれば、上皇さまが述べられた「国民と苦楽を共にし、そして国民の幸せを願いつつ務めを果たしていく」に近づくのではなかろうか。