「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

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なぜ、みずほ銀行は「言われたことだけしかしなくなった」のだろうか ~論語と算盤 #32

 

 金融庁が、みずほフィナンシャルグループ(FG)とみずほ銀行に対し業務改善命令を出し、システム障害の再発防止と経営責任の明確化を求めた。これを受け、経営陣は総退陣するという。

みずほ銀行及びみずほフィナンシャルグループに対する行政処分について:金融庁

 金融庁が公表した行政処分の中味を見れば、その内容に驚く。

 金融庁によれば、システム運営上、またガバナンス上に問題があり、その問題の真因は、

(1)システムに係るリスクと専門性の軽視

(2)IT現場の実態軽視

(3)顧客影響に対する感度の欠如、営業現場の実態軽視

(4)言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない姿勢

と指摘する。

 これらの真因の多くは、当行において発生させた平成14年及び平成23年のシステム障害においても通底する問題である。そのことからすれば、当行及び当社においては、システム障害が発生する度に対策を講じたとしても、過去の教訓を踏まえた取組みの中には継続されていないものがあるという点、あるいは環境変化への適切な対応が図られていないものがあるという点において、自浄作用が十分に機能しているとは認められない。(引用:金融庁

 

 

目的なき構造改革

 みずほフィナンシャルグループの坂井社長は18年の就任以来、構造改革を押し進めたという。ブルームバーグによれば、19年度からの5カ年計画で、人員や国内拠点の削減を進めた結果、17年9月中間期に76.4%だった経費率は、21年9月中間期は60.2%まで低下したそうだ。

 一方で、副作用も生じた。システム関連の人員削減を進めた結果、発生した勘定系システム「MINORI」を巡る一連のシステム障害という。

みずほの脆弱なガバナンス問うた金融庁、コスト削減の焦りが代償招く - Bloomberg

「MINORI」の開発や運用に関わった従業員はシステム稼働前の約1100人から今年3月までに約500人に減少。(出所:ブルームバーグ

 人員削減には有能人物だったのかもしれないが、経営者としては適切でなかったということなのだろう。人を減らし、経費を抑えれば、業績は改善する。業績改善が目的なら、それでもいいのだろうが、通常、それを構造改革といわない。

論語の教え

 みずほ銀行渋沢栄一を祖とする。栄一がこの現実を知れば、どう嘆くのだろうか。

 システムを刷新すれば、混乱が生じるの常で、しかし、その混乱が広く波及しないようにするのが、それに携わる者の責務である。その上、その本分を経営者が理解していなければ、うまく行くはずもない。

 

 

 栄一が大蔵省に出仕して間もないころ、西洋式の簿記を導入し現場が混乱、ある者が栄一に殴りかかるほどの混乱ぶりだったという。それでもあきらめずに推進することで、新たなシステムが定着していく。

「揚足を取ってくれ、自分を罵り責めてくれる先輩を上に持ってるという事は、国家でいえば敵国外患あるに等しく、人の発達進歩に裨益するところ、甚だ多いもので、これも一種の争いである」と、栄一はいう。

 論語にある「己れに克つて礼に復(かえ)る」という事も争いで、私利私慾と争い、善を以て悪に勝たなければ、人は決して礼に復り、人の人たる道を履んで行けるようになれぬものであるという。

品性の向上発展は、悪との争いによって始めて遂げ得らるるものである。絶対に争いを避け、悪とも争わず、己れに克とうとする心懸けさへ無くなってしまうようでは、品性は堕落する一方になる。争いは決して絶対に避くべきものでは無い。社会の進歩の上にも国家の進歩の上にも個人の発達の上にも品性の向上の上にも無ければならぬものである。(参考:「実験論語処世談」 渋沢栄一記念財団

己れに克つて礼に復る

「顔淵 仁を問う。子曰わく、己を克ちて礼に復(ふく)するを、仁と為す。一日 己を克ちて礼に復すれば、天下 仁に帰す。仁を為すは己に由(よ)る。人に由らんや、と。

顔淵曰わく、其の目(もく)を請いて問わん、と。子曰わく、礼に非(あら)ざるもの視ること勿(な)かれ、非礼 聴くこと勿れ、非礼 言うこと勿れ、非礼 動くこと勿れ、と。顔淵曰わく、回(かい)、不敏と雖(いえど)も、請う、斯(そ)の語を事とせん」と、「顔淵第十二」1 にある。

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 構造改革を実行する人に、こうした心構えがあれば、いいのかもしれない。

一日己に克ちて礼に復れば、天下仁に帰すというのは、人が己の欲心に克ち、礼を履み行うならば、天下広しといえども、ことごと仁に帰するであろうという意味であって、一日とあるは、必ずしも一日というのではない。

天下仁に帰すと云われたのも、また必ずしもことごとく衆民が仁に帰向するというのではなく、その感応の速かにして効験の大なる事を形容されたのであって、文字通り解釈すべきでない。(参考:「実験論語処世談」 渋沢栄一記念財団

 上に立つものに「仁」の心構えがあって、それが従業員に伝播していくのだろう。そうであれば、「言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない姿勢」も改まっていくのではなかろうか。