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気候正義を追求できるのか、サステナブル・ファッション・アライアンスが第1回総会を開催 ~論語の教え #11

 

「気候正義(クライメート・ジャスティス)」、この言葉が英国グラスゴーで開催されていた「COP26」で多用されていたという。

 地球温暖化の責任がほとんどない経済弱者や若い世代が、より甚大な被害を受ける不公正な状況を是正しようと呼び掛けられているそうだ。

政策に「気候正義」を 先進国の責任問う―COP26:時事ドットコム

欧米では、気候変動を語る際に欠かせない概念として定着しており、COP会合でもさまざまな場で用いられた。開催地スコットランドスタージョン自治政府首相は「最も責任が少ないのに気候変動の最も深刻な影響を受ける人々の声を聴かなければならない」と気候正義に言及。NGOは不均衡を正す政策を促し、デモでは若者が「われわれは気候正義を求める」と叫んで行進した。 (出所:JIJI.COM)

気候正義」は一般的に、「気候変動の不公正な負担を強いられる弱者に視点を置いた問題解決を目指す」ことを意味するという。

 

 

動き出した国内ファッション産業

 サステナブルなファッション産業への移行を目 的とし今年8月に発足した企業アライアンス JSFA(ジャパンサステナブルファッションアライアンス: JAPAN SUSTAINABLE FASHION ALLIANCE)が11月12日、第1回総会を開催したという。

ジャパンサステナブルファッションアライアンス本格始動 28社が2050年「ファッションロスゼロ」宣言 - WWDJAPAN

WWD Japanによれば、総会後の記者会見で、アライアンスの共同代表の伊藤忠商事ゴールドウイン、日本環境設計が「サステナブルなファッション産業への移行の推進」という目標を発表したという。

生活者を巻き込んでサステナブルファッションを推進してゆくことが大きなポイント。

生活者の接点を持っている小売りやECは重要になる。参画していただき、連携を取りながら進めたい。(出所:WWD Japan)

 ファッション産業のサプライチェーンは裾野が広く、それはグローバルに展開されている。「気候正義」という概念とともに、サステナビリティを希求されれば、縫製工程を担う途上国おいても気候変動対策が進むことになるのかもしれない。また、それが途上国における機会の向上につながっていけばいいのだろう。

 

 

無理が通れば道理が引っ込む

「無理が通れば道理が引っ込む」というようなことが元来あってはならないものだが、現実においては、これがしばしば行はれていると渋沢栄一が指摘する。

 これまでの経済活動は無理の連続だったのかもしれない。2005年に京都議定書が発効し、地球温暖化防止が共有されたにもかかわらず、理由をつけては先送りを続けてきたのだろう。

どんな無理な事でも根気よく強く続けられると、道理がある方の者はうるさく感じるから、暫く引っ込んで時節の到来を待とうという気にもなる。そこで無理の方は時を得、横行濶歩し、わがまま勝手にありったけを尽して、道理を苦しめるに至るのだ。

しかし、結局、道理の勝利に帰するのが、これ天地の大法で、何れの日にか道理は無理を押し込めてしまい得られるようになるのだが、一旦無理が幅を利かし出したとなれば、無理が押し込められるようになるまでには相当の時日を要するものである。(参考:「実験論語処世談」渋沢栄一記念財団

 地球が著しく温暖化し、気候危機と言われるようになって、これまでの「無理」に気づいたというところだろうか。無理を押し通せば、自然のバランスが崩れ、それが異常気象になって現れるのだろう。それが自然の法則であろうし、天地の大法ではなかろうか。異常気象が頻発するのは地球からの警告なのだろう。

 

 

論語の教え

「蓋(けだ)し知らずして之を作る者有らん。我は是(こ)れ無きなり。多く聞きて其の善き者を択(えら)びて之に従う。多く見て之を識(しる)すは、知るの次なり」と、「述而第七」27にある。

 孔子は生れながらにして無意識のまま善を行い、道に合致し得るほど道徳三昧に入った上智の人間では無いと栄一はいう。そうかといえば善悪是非の弁別も無く、何が何やら訳が解らず行き当りばったりで思ったまま無茶苦茶に行うという無分別をあえてする下愚の人間でも無い、強めて学ぶ事に苦心し、見聞を博くして知識を天下に求めその善なる者を択んで行う学知階級に属する人間であると、孔子自らそういったのであると解説する。

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多く聞き多く見、そのうちより最も善き者を択び、これに従って行わねばならないからとて、余り見聞ばかり博くしても、その人に見識が無ければ何を択んで然るべきものか、見当がつかなくなって迷うようになるものだ。故に何んでも見聞ばかり多くすれば善いというわけのものでも無い。さればとて、一切他人の意見には耳を仮さないというように成ってしまっても困る。(参考:「実験論語処世談」渋沢栄一記念財団

 得てして人は時に、他人の意見に耳を仮さず、自分の思うままに押し通してしまうことがあり、目的の為には手段を選ばずという主義に陥って、間違いを起こすことがある。

 これまで長きにわたって地球温暖化に警鐘を鳴らす人たちがいたにもかかわらず、耳を貸さずに、従来の経済の論理を盾にして、地球に無理強いを続けてきた。もうそろそろその「無理」を引っ込め、「道理」を通すときのだろう。

 ファッションを通して、そんなことを学ぶ機会ができればいいのかもしれない。