「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

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破天荒なるかな新庄剛志 日ハム新監督、「論語と算盤」でチームを導いた栗山前監督 ~ 論語と算盤 #25

 

 新庄剛志氏が日本ハムの監督に就任し、就任会見で「プロ野球を変えていきたい」と意気込みを語ったそうだ。どんな野球をするのだろうか。

 破天荒、誰もできなかったことを成し遂げることをいう。新しいプロ野球のスタイルを作ってくれるのだろうか。

 前代未聞。それにしても、日ハムのこの監督人事は大胆ではなかろうか。ド派手な監督より、勝負にこだわり、若手を育成指導する、そんな人事の方が安全無難であり、今までの監督スタイルではなかったであろうか。 

 

直きを挙げて諸を枉れるに錯けば、能く枉れる者をして直から使む

「樊遅(はんち)仁を問う。子曰わく、人を愛す、と。知を問う。子曰わく、人を知る。樊遅未だ達せず。

子曰わく、直(なお)きを挙げて諸(これ)を枉 (まが)れるに錯(お)けば、能(よ)く枉れる者をして直から使(し)む」と、論語「顔淵第十二」22 にあります。

 この章は仁知を説いたものであると、渋沢栄一が解説しています。

「弟子の樊遅が仁を問うたのに対し、孔子は人を愛せよと云った。また知を問うたのに対して人を知れと答えた」。

 すなわち「仁」をなそうとするには、人を愛すると云うことが先きにしなければならない。「知」を知るには人を知ることが先きでなければならないと孔子が諭したという。

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けれども孔子のこの答えは余りに平凡なので疑った。すると孔子はさらに直き者を上に置くと、下にある枉れるものも、これに感化されて直くなると説いた。すなわち良い者を挙げてこれを尊重していると、その下にあるものは何故に彼が尊重されるのであろうかと考える。そして彼は正しいために挙げられ、しかも尊重されるのだと云うことが判る。そこで自分もまた、こうなろうと云ふ風になる。

例えば、正直な人が上に挙げられて尊重されると、彼の人は正直だからであると思って、下のものもこれに倣って正直になる。勉強する人が上にあれば、他の人も皆勉強するようになり、社会の人もまた、その通りになるものである。(参考:「実験論語処世談」渋沢栄一記念財団

 日本ハムは、新庄氏の真っ直ぐな野球に対する情熱が選手たちに伝播していくことを期待、それがまた好成績につながっていくと信じたのだろうか。

 

 

 新庄新監督には意外な一面もあるのかもしれない。

「話をすると、野球観がしっかりしているし、みんなを喜ばせようとする「やさしさや思いやり」をすごく感じている。先入観にとらわれない野球をやりながら、選手たちのことを考えて勝たせてくれると思っている」

と、栗山前監督が新庄氏について語り、期待したという。栗山氏は、新庄氏のやさしさと思いやりに「忠恕の心」を見たのかもしれない。

論語の教え

「孰(たれ)か微生高(びせいこう)を直と謂う。或るひと醯(けい)を乞いたるに、諸(これ)を其の鄰(となり)に乞いて、之に与えたり」と、「公冶長第五」24 にあります。

 微生高という人が、自分のところに酢がなく、隣から借りて融通してあげたという。隣の酢を自分のもののような顔をして融通したところで、立派ではないにしても、何も悪いことではない。そこには偽善もないし虚栄もない。我が家は酢がありません、ご注文には断じて応じかねます、など切り口上でいうのは愚直といえても、特にほめるべきことではない。

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 この章を桑原武夫は次のように解説する。

微生高は直だなどと世間でいうが、そんなことはない。私の家で彼のところへ酢を借りにいったら、隣の家から借りて来てすぐに用立ててくれた。いい男ですよ、世間の貼るレッテルなぞあてにならない。(出所:「論語桑原武夫

 新庄氏に対する評判も、また同じなのかもしれない。

 

 

論語と算盤

 栗山前監督は「論語と算盤」の愛読者という。

北海道日本ハム・栗山監督が語る "渋沢栄一"流、理想の選手像・チーム作りとは | ベースボールチャンネル(BaseBall Channel)

 栗山氏10年の監督生活で、フロントにも良い影響があったのかもしれない。そんなことを感じる今回の監督人選だ。