「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

社名を変更してFacebookに批判が集まる理由 ~ 炉辺閑話 #57 【釣して網せず。弋して宿を射ず】

 

「山林の伐採を行うにしても、四時休むこと無く乱伐を行えば、如何なる山でもたちまち禿山となり、治水を乱すに至るは必然だ」と、自然保護につながることを渋沢栄一も説いている。

 これは論語(「述而第七」26)にある「子 釣(ちょう)して綱(こう)せず。弋(よく)して宿を射ず」を解説したときの言葉である。さらに次のようにいう。

今日では、漁猟にも一定の期間を設けて狩猟期を定めたり、何時から何時までは鮎を漁ってはならぬとか雀を獲ってはならぬとかとの規定を設け、森林の伐採なぞに就ても夫々の方式やら規則やらがあって、乱伐を防ぎ、孰れにしても種を絶やさぬ事に骨折ってるが、これは期せずして孔夫子及び孟子の心懸けて居られたところに一致するものである。(参考:「実験論語処世談」渋沢栄一記念財団

 

 

釣して網せず。弋して宿を射ずの真意は

 孔子が釣して網せず、弋して宿を射られ無かったのは、果して魚類鳥獣の種を尊重し、これが繁殖を計らうとの御趣意から来たものか何うか疑問もあるが、空巣狙いをする如き卑怯の行動を避くる精神より、かかる方針に出られたものである事だけはすこぶる明かで、孔子にして、もし今日行わるる根こそぎ網の如きものを見られたら、定めしこれを排斥せられたことであろうと、栄一は解説する。

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 栄一の解説に盾をつく気はないが、秩序や理、法は自然の中にあって、徳もまたその中にある。孔子が説く道徳も根源はそこにあって、「根こそぎ」のような行為は自然の理から外れ、自ずとそれは秩序の乱れにつながると言わんとしているのではなかろうか。

賛否分れるFacebookの社名変更

 Facebookが社名を「Meta(メタ)」に変更したという。日本経済新聞によれば、社名変更によってイメージを刷新し、VR 仮想現実などの成長領域に注力するという。

Facebook、社名を「メタ」に変更 仮想空間に注力: 日本経済新聞

 それによると、開発者会議でマーク・ザッカーバーグCEOは、事業がSNSの他にも、「メタバース」と呼ぶ仮想空間の構築に広がっていると指摘し、「事業のすべてを包含する社名が必要になっている」と述べたという。

 フェイスブックSNSの名称として利用を継続するそうだ。

新たな社名のもと、メタバースの構築に注力する。VRや拡張現実(AR)などの技術を組み合わせて仮想空間で遊んだり交流したりできる基盤を作り、関連サービスを拡充したい考えだ。 (出所:日本経済新聞

 

 

 社名変更で賛否が分かれているようだ。AR/VRなど技術革新を信奉する人々は歓迎する一方で、Facebookが、個人や社会に有害な影響を及ぼしてきたみる人々は批判している。

 Facebookをたばこやオピオイドなど中毒性のある物質になぞらえたのは、内部告発した元従業員のフランシス・ホーゲン氏。英議会で、そう証言したという。

コラム:フェイスブック社名変更、イメージ回復なるか | ロイター

FBの社名変更が、「マールボロ」を主力製品とする米たばこ大手・アルトリアのブランド刷新を思い起させるという面でも、ホーゲン氏がたばこを引き合いに出したのは適切かもしれない。

アルトリアは2003年、たばことの関係性を薄めようという狙いもあって、フィリップ・モリスから社名を変えた。ただ、それから20年余り経過してもなお、売上高と利益の大半をたばこから得ている。名前はしょせん、名前でしかないことがある。 (出所:ロイター)

指摘される問題点

 Facebookは、SNSの利用履歴をもとに一人ひとりの趣味や好みを把握し、最適な広告を配信する事業を拡大させた。世界の企業は効率的な広告配信の仕組みを評価し、売上高は20年12月期に859億ドルまで拡大したと、日本経済新聞はいう。

シリコンバレーの成功物語として称賛を浴びる一方、詳細な個人情報に依存する事業モデルはプライバシー重視の流れの中でたびたび批判を浴びてきた。(出所:日本経済新聞

 

 

フェイスブックの元従業員たちが書き残した“メッセージ”と、浮かび上がった病巣 | WIRED.jp

「Qアノンへの参加のおすすめやニュースフィードの投稿は、数時間で人を死に至らしめるわけではないし、薬品として提供されているわけでもない。それでもフェイスブック文書によると、同社は自社のプロダクトによって複数の被害が出ていることを認識していたし、ほぼ間違いなくタイレノールの事例よりも影響が大きい」と、wiredは指摘する。

タイレノール」とは、ジョンソン・エンド・ジョンソンの薬で、過去にシアン化合物が混入される事件があり、これによって7人の死者が出たそうだ。

Facebookの投稿がミャンマーの暴徒をあおったり、10代の若者のメンタルヘルスに問題を生じさせたりしていたことが、フェイスブック自身の調査によって示されている。これはタイレノールの事例のように、第三者の不正によるものではない。結果は意図しないものではあったにしても、フェイスブックのプロダクトは設計通りに機能しているのだ。 (出所:wired)

 安っぽい成功の定義は、たんなる効率化の追求だけで成り立っているのかもしれない。そのメリットばかりが強調され、デメリットはなおざりにされる。メリットは即効性があり、デメリットはゆっくりとその害が顕在化、時に人々の心を蝕む。

「釣して網せず。弋して宿を射ず」、一網打尽にしたり、巣で休む鳥を狙えば、それは効率的なことなのかもしれない。だが、それではいつか自然が壊れてしまう。孔子はこうした弊害を理解していたのかもしれない。

 

 

 新たなものが生まれれば、必ずといっていいほどにそこから弊害が生まれ、規制の対象になる。自動車が誕生して便利になったが、便利になったからといって野放図に拡大を許していたら、公害や交通事故が蔓延する社会になっていたのかもしれない。ルールを定め、規制することで社会に役立つ道具になることもある。

 批判や警鐘があるなら真摯に耳を傾け、それに処していくことが求められているようにおもえてならない。

 5年後なのか、10年後なのかわからないが、ただ、仮想体験が当たり前になることもあるのだろう。問題を先送りすれば、必ず同じ問題がまた起こることになりはしないだろうか。