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日本はなぜクリーンで健康的な環境に暮らす権利の国連決議を棄権したのだろうか ~論語の教え #3

 

 国連人権理事会が、「安全でクリーンで健康的で持続的な環境への権利」は基本的人権との決議案を賛成多数で可決した。この決議に法的拘束力はないという。

 NPO法人の気候ネットワークによれば、直前まで反対をしていたイギリスを含む43カ国が賛成し、反対ゼロで可決されたが、日本・ロシア・中国・インドが棄権したという。

 その理由を外務省 人権人事課は「環境権は国際人権法において確立した権利ではなく、対象がクリーン、健康的、持続可能と広範囲にわたり定義が曖昧なことから棄権した」と説明したそうだ。

 

 

 気候ネットワークは、政府の「棄権」に対しコメントを発表した。

【プレスリリース】環境・気候変動問題は、人権問題である 国連人権理事会決議に対する日本政府の「棄権」に対するコメント(2021/10/12) | 地球温暖化防止に取り組むNPO/NGO 気候ネットワーク

日本は、世界とともに今日的課題を解決する入り口にも立つことができない。日本の高度経済成長期に発生し、現在もなお被害が続いている公害に向き合うこともできていないと言わざるをえない。環境・気候変動は、世界が共通して取り組むべき重要な課題であり、この課題に正面から挑むことは、人々の幸福や人権を守っていくことに他ならない。

政府は、方針を直ちに見直し、人権問題として、環境・気候変動の危機に挑むことを基本姿勢として確立するべきである。(出所:特定非営利活動法人気候ネットワーク)

 気候ネットワークは、気候変動の影響は切迫した危険とし人権侵害と認め、国の排出削減の強化を命じたオランダ最高裁判所の2019年の判例を示し、また、国連IPCCが2021年8月に発表した第6次評価報告書第1作業部会報告書で、世界中で極端現象などが起こり、気候変動の被害が深刻化し、人々の生命や健康、安全な生活を脅かしていると報告したことを挙げ、さまざまな形で現世代、そして次世代の人権侵害を拡大させることは論を俟たないという。

 

 

論語の教え

「仁なるに里(お)れば美を為さん。択んで仁に処(お)らざれば、焉(いずく)んぞ知たるを得ん」と、「里仁第四」1 にある。

 桑原は、この章は難解であるという。「仁に安住するのは立派だ」という昔からの言葉があるが、仁を択びとってそこに安住できないよう者は、どうして知者と言うことができようか」と桑原は読む。

dsupplying.hatenadiary.jp

「里は仁を美と為す」と読むのは渋沢栄一

 栄一は自身の故郷である血洗島を例に出し、次のようにいう。

総じて人は我が身を思へば、直に家を思ひ、家を思へば同時に家のある故郷を思ふに至るもので、之が実に人情の自然である。この故郷を思ひ郷里を思ふの情の軈て発展したものが愛国心となり、更に博く推し拡げられて世界全般の上に及んだものが、人類を思ひ、人類を愛する博愛の精神ともなるのである。

されば人は世界人類の為に尽くし国家同胞の為に尽さんとならば、須らく先づ其本より始めて故郷を愛し、各人それぞれ其分に応じて郷里の為に尽くすべきものであらうかと存ずる。 (引用:実験論語処世談 渋沢栄一記念財団

 

 

里は仁を美と為す

この意味を栄一は、「我が棲む里と定める土地には、仁徳の行はれて立派なものになつて居る処を択むが可い。仁厚の風なき土地に棲むのは、智者の為すべき事では厶らぬ」という。しかし、そう解釈すると、窮屈になってしまう恐れがあるといい、孔子は窮屈な意味の教訓を与えようとしたのではないはずで、「何処に棲んでも構はぬから、人の仁徳を我が心の棲む里と致して居らねば相成らぬものである」との意味だろうという。

「仁」、他人を大切に思い、いつくしむ感情をさす言葉。

 そうであるなば、人間が人間らしく生きる権利である「人権」を擁護して然るべきではなかろうか。

 外務省の棄権した理由は理由になっていないのであろう。人類に対する思いが欠けることは国に対しても同様なのだろう。

「里は仁を美と為す」、この言葉を意味を理解して欲しいものだ。