「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【ゲノム編集と倫理】自然界に存在しない、ゲノム編集されGABAを多く含むトマトの販売が始まる ~炉辺閑話 #37

 

「神秘」、人間の知恵では計り知れない不思議、普通の認識や理論を超えたことをいいます。

 現代は、古代に比べれば「神秘」と呼ばれるものははるかに少なくなっているのでしょう。自然を司る自然法則の解明が進み、神秘の謎が解き明かされてきました。

 宇宙の神秘、生命・生殖の神秘、思考の神秘、まだまだ完全に解き明かされていないものもあるのではないでしょうか。その一方で、人間はその「神秘」にこれまで挑戦してきたといっていいのかもしれません。人工授精や人工知能などはそのよい例ではないでしょうか。

 

 

 人の思考プロセスを大脳科学で解明し、それを人工的に再現しているのが人工知能なのでしょうか。

 人間の行動の源泉になる記憶のアーカイブを、人工的に、機械的に学習させることができるようになりました。ひらめき、創発、想像、理性による抑制など、この先、人工知能が人間の大脳活動に近づいていくのでしょうか。

 人工知能による、最適解の提示などはある意味、人間のひらめきの一種といっていいのかもしれません。すでに将棋では人間より人工知能が勝っています。テクノロジーの進歩の勝利と言っていいのでしょうが、はたして人工知能が人間より勝っていいのかと考えると、そこには倫理の問題が生じるのではないでしょうか。

 遺伝子情報も生命の神秘のひとつなのでしょう。その遺伝子情報をゲノム編集技術を使って改変できるようになっています。その成果として、国内で初めて、「GABA」、血圧を下げる効果があるとされる成分を多く含むように品種改良されたトマトの販売が始まりました。人にとっては有用かもしれませんが、自然界には存在しないトマトです。人間のエゴのようにも感じてしまいます。

 

 

 NHKによれば、ゲノム編集の技術を使った「ゲノム編集食品」は、「遺伝子組み換え食品」とは異なり、別の遺伝子を組み込むなどしていないことから従来の品種改良と安全性は変わらないとして厚生労働省に届け出をすることで流通できるようになっているそうです。

「ゲノム編集」で品種改良のトマト 一般への販売開始 国内初|NHK 首都圏のニュース

 このトマトを開発した「サナテックシード」の竹下達夫会長は「ゲノム編集食品に対してはまだ十分に理解されていない部分もあって商品として売るのは大変だと思ったが、事前に募集したモニターに苗を育ててもらった際には評判がよかった。万全を期して販売に踏み切った」と話しているそうです。

ゲノム編集の技術を使うと遺伝子を自在に操作することができます…(中略)事前に厚生労働省と相談し、遺伝子をどう改変したかや、アレルギーの原因物質や毒性がある物質が増えていないかなどの情報を届け出ることになっていて、ゲノム編集食品であることを表示する義務はありません。 (出所:NHK

 難しい問題のように感じています。虚偽はないとする人の良心を基本にした法律なのでしょうか。悪意ある人がゲノム編集を利用すると…なんて想像すると恐怖を覚えたりします。

 

 

「デザイナーベイビー」、遺伝子を操作し子どもの特徴を改変してしまうことだを言います。また、2018年には中国で、ゲノム編集した赤ちゃんが誕生して話題になりました。

「世界初のゲノム編集赤ちゃん」の正当性主張 中国科学者 - BBCニュース

 ゲノム編集は、すでに一部の深刻な難病治療に活用されています。かと言って、受精卵のゲノム編集は許されるのか。当時そんな議論がありました。直接生まれる子供だけでなく、未来の子孫にも影響する可能性があるとして、科学界は深刻な懸念を示したといいます。

論語の教え

「子張問えらく、十世知る可(べ)きか、と。子曰わく、殷(いん)は夏(か)の礼に因り、損益する所知る可し。周は殷の礼に因り、損益する所知る可し。其れ或いは周に継ぐ者、百世と雖(いえど)も知る可きな」と、論語「為政第二」23 にあります。

dsupplying.hatenadiary.jp

 孔子と弟子の子張の問答で、子張がこのあと「周」についで次々とあらわれるであろう十の王朝のことを、今から予知できるでしょうか、と質問をすると、孔子は、それは予知できるはずではないかといい、殷の王朝は前の夏の王朝の礼制を受け継いだ、そのさい廃止(損)あるいは付加(益)したところはわかるはずだ。周王朝の殷王朝に対するする関係も同じことである。したがってもし周を継ぐ王朝がいろいろでてくるにしても、十代どころか百代さきのことまで予知できるはずではないか、と孔子が答えたといいます。

 

 

 孔子人間性の本質の永久不変性を信じて、その社会における具体的表現である「礼」なるものは、部分的改変はさけられないにしても、その基本は永続すべきものだとしたと、桑原武夫は解し、人間的秩序の連続性を確認しているという。

地球が人口過剰で破滅に瀕してているときに、「生めよふやせよ、地にみてよ」という聖なる言葉はうつろに響かないだろうか、制度は変わっても人間性は永久不変という人の前に「試験管ベイビー」の可能性が提示され、「十世知る可し」といえるだろうか。 (出所:論語 桑原武夫

 テクノロジーの進歩も孔子が指摘した「礼」の如く、連続性をもって進化してきたともいえるのではないでしょうか。ただ飛躍的に進歩するテクノロジーに対して、それに対応する倫理や法が十分に追いついていないのかもしれません。

「法律は最低限のモラルにすぎない」、「誰もが公共を意識しなければ、社会というものは成り立たない」といったのは、闘う弁護士といわれた故中坊公平氏。

 法や規制が追い付かない、テクノロジーが先行するような社会においては、倫理や道理の重要性が増していないでしょうか。時代時代に合わせて、倫理のアップデートが常に求められているのでしょう。

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人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし、急ぐべからず.....

と、家康の遺訓にあります。

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり」

この句を読むと、人類が少し急ぎ過ぎているように思えてなりません。不自由さを解消しようとするばかりに、過剰を生み出しているのではないでしょうか。行き過ぎはいたるところで見ることができます。

 天地自然の道理、自然の法則を冒してまで突き進むテクノロジーの進歩は人間のエゴに思えてしまいます。その最たるものがゲノム編集なのかもしれません。

 ゲノム編集に見合った人類共通の倫理の確立が急務になっているのではないでしょうか。