東京オリンピックが閉幕しました。メダルラッシュで盛り上がった大会だったといっていいのでしょうか。
「一意専心、刻苦精励、脇目もふらず集中し、懸命に努めることは偉大な人間の勲章のようなもの」と、サミュエル・スマイルズの「自助論(セルフヘルプ)」にあります。
活躍したアスリートたちにその姿をみたような気がします。
才能あってのことかもしれませんが、日々のトレーニングなしにその活躍はなかったのでしょう。競技後のインタビューから、そんなことを想像し、それが感動につながったりしました。
サッカー男子の久保選手が3位決定戦で敗れ、流した涙に感情を揺さぶられ、バスケットボールで初めてメダルを獲得した女子チームの笑顔から何かを成し得たときの喜びを感じとることができ、とっても素敵でした。
お返しがしたい
世界陸連のセバスチャン・コー会長が「お返しがしたい」と述べたといいます。
「普通でも大会運営は難しいのに、この条件下で開催されたのは奇跡にほかならない。選手に格別な舞台を用意してくれ、多大な恩義がある」と感謝の言葉もあったといいます。
将来的に東京で主催大会を開きたい意向を示した。具体的には言及しなかったが、関係者によると2025年の世界選手権も候補という。 (出所:産経新聞)
外交辞令も含まれているのかもしれませんが、素直に受け取りたいと感じます。
色いろ批判があったオリンピックだけに、お礼の言葉があるとうれしいものなのではないでしょうか。ボランティアなど裏方で協力された方たちも報われたのではないでしょうか。
成すべき価値のあることは、うまく成すだけの価値がある
画家のニコラス・プーサンの座右の銘をスマイルズの「セルフヘルプ」が紹介しています。
晩年になって、プーサンはある友人から、「あなたはどうしてそんなに画家仲間から尊敬されているのですか」と尋ねられ、「何ごともおろそかにしなかっただけだ」と答えたといいます。
オリンピックが価値あることとするなら、大会を運営する人たちの行動はそれに値するものだったといっていいのでしょうか。スマイルズが指摘するように些事にいたるまで、まごころを込められていたのでしょうか。
終わりを慎み遠きを追えば、民の徳 厚きに帰す
「父母の喪、祖先の祭祀において、まごころを尽くすのであれば、その道徳心はすぐれたものになる」と解される言葉です(「学而第一」9)。
形式に陥ることなく、大切なことはまごころということを意味し、指導者に求められる模範的な行動のことをいっているといわれます。
これからまだパラリンピックがあるので、総括はできないのかもしれませんが、終わりのあり方次第で、このオリンピックの印象もまた変わっていくのかもしれません。
「参考文献」