製造業の基本はQ(品質)C(コスト)D(納期)といわれます。
品質は、設計とものづくりで作るものといわれ、検査に頼ることはご法度です。検査に頼るのであれば、それは検査でなく、選別行為と変わらないと叱責され、検査とは「良品であることを確認すること」と口酸っぱく教えられる一方で、その簡略化も常に求められます。
しかし、品質は絶対です。基本、品質に妥協は許されません。
そのために、国際的な品質管理の認証であるISO9001を取得し、それにもとづいて、すべての品質記録を残し、規定通りに物事が実行されているか内部監査で確認し、定期的に認証機関にも監査されます。
そのISOにもどつく品質マネジメントシステムはあらゆる異常を検知できるように設計され、正常に機能していれば、たとえ不正があっても検出できるものです。
不正を隠そうとしても、そのシステムがゆえに、逆に手間ばかりがかかり、不正をしようとの気は起きないものです。また、監査すれば、不思議にそうしたことは容易に見つけることができてしまうのです。
三菱電機が、そのISO9001の認証を停止されたといいます。検査不正が露呈したのだから当然なのかもしれません。
作られた製品の出荷可否を確認する検査では、異常がないことを毎回確認します。しかし、異常が検知されることは極めて稀のはずです。
毎日毎日の検査で異常がなければ、ムダなことをしているように感じってしまったのでしょうか。コスト、効率化の方が気になり、顧客との約束事項である品質を保証する検査を改悪してしまったのでしょうか。
苟(いやし)くも過ち有れば、人 必ず之を知る
「自分に過失があったとき、人がそれを知って教えてくれる」との意味する言葉が「論語」にあります。
陳の国の司敗(しはい)との問答で、孔子に過ちであり、そこに同席した弟子がその会見のあとに、それを告げ、孔子がこう述べたといいます(「述而第七」30)。
ISOの品質システムも同様で、何か問題が生じた場合の処理フローを規定し、それが適正に処理することが求められます。また、検査プロセス等の変更は「変更管理」として、顧客への通知の必要性などを含めて規定することが求められます。
厳密な品質システム上でも、通常、異常や問題が発生することを咎めたてるようなことはしません。システム上、問題になるのは、「異常」をルールに従い適正処理にしないことの方です。
ISOが求める品質システムは絶対憲法のようなものです。それが恒常的に守られていないとすると、問題の根源は別のところにあるのかもしれません。
民は之に由(よ)ら使む可(べ)し。之を知ら使む可からず
人々を政策に従わせることはできるが、政策を理解させることは、なかなかできないとの意味です(「泰伯第八」9)。
ISOの品質システムもまた同様なのかもしれません。
その理由などを知らせてしまえば、悪い者はかえって、これを悪用し、従わなくなるおそれがあると、論語では説きます。
三菱電機の問題もこうしたことが原因になったのでしょうか。
一方、萩生徂徠は、人々にその理由を理解させることはできない、理解させるのが正しいことではあるけれども、残念ながら現実の問題としてそれはできない、と解します。人間には賢明と愚昧があるので、そうなるのが「自然の勢」だというのです。
国のコロナ対応も同じなのかもしれません。
コロナ対策に従わせなければ、コロナの収束はないはずです。しかし、その対策に従わせようとする努力があまりにも乏しいような気がします。
三菱電機も根っこは同じところにあるのかもしれません。
その三菱電機は社長が交代したようです。新社長の漆間氏は記者会見で「危急存亡の時。使命は企業風土の改革を進めて新しい三菱電機をつくり、社会の信頼を取り戻すことだ」と述べたといいます。
決められたルールを守らないことが、危急存亡のときとは少々大袈裟に聞こえますが、ルールを守るという常識を、守らなくてもよいものと教えているようであれば、それは大問題なのかもしれません。
「参考文献」