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【切磋琢磨】孤高の柔道家 大野将平さん ~炉辺閑話 #18

 

 柔道家 大野将平さんが五輪2連覇を達成されました。

 決勝戦、9分を超える激闘。その戦いの後、敗者を慮る大野選手の立ち振る舞いが話題のようです。日々鍛錬で培った精神が自然に表現されたのでしょうか。

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そういうと少し堅苦しいですが、日々心に入力したことが自己暗示となり、体現されたということなのかもしれません。大野選手は「正しく組んで、正しく投げる」を理想として「古き良き柔道」へのこだわりが強いといわれています。

 

射は主皮せず

「射は主皮(しゅひ)せず。力を為すや科を同じくせず。古の道なり」「八佾第三」16)との「論語」の言葉があります。

 射は的にあてるだけではない。人によって力が違うので、科を設けて区別し、所作や振る舞いを含めて能力を量る。これが古の射の道であるという意味です。

「射」には礼射と武射があるといいます。武射は実戦用で的にあてることや力強く射抜くことなどが目的で、一方、礼射は礼式用で、音楽に合わせて作法に従って行うという。その際、五善ができていなくてはならないとするそうです。五善のひとつに「和容」があって、礼儀に適った身のこなしや姿のことといいます。主皮(的にあてること)は五善のひとつにすぎないと加地は解説する。

「科」は区別するとの意味。

 己を知る莫ければ、斯ち已むのみ

  瀬戸大也選手がまた決勝に進出できなかったようです。楽しんで競技できているのでしょうか。何か要らぬ自己暗示が邪魔をしているのかもしれません。そうした邪念が取り除くことができれば、もっと楽しむことができるのではないでしょうか。

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 かつての瀬戸選手には荻野選手という強力なライバルがいて互いに切磋琢磨することはもちろんのこと、勝ちたいとの思いが強いモチベーションになっていたのかもしれません。

心有るかな、磬を撃つや、と。既にして曰わく、鄙(ひ)なるかな、硜硜(こうこう)乎(こ)たり。己を知る莫(な)ければ、斯(すなわ)ち已(や)むのみ。深ければ則ち厲(れい)し、浅ければ則ち掲(かか)ぐ。子曰わく、果なるかな、之れ難(かた)きこと末(な)し」(「憲問第十四」39)との言葉が論語にあります。

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  孔子が「磬」を打っていたときのこと、ある隠者が孔子にこう言ったといいます。「無心でないな、あの磬の打ちかたは」、「卑しい感じよ、小さく堅く固まっている。だれも自分の値打ちが分からんと言うのなら、廃業するまでのこと。水が深ければ、袴は脱いで、水が浅ければ、裾をからげて、との」と。すると、孔子は「単純な思い切りよ。そんな行動は難しくないわ」といったといいます。 

 瀬戸選手と、隠者に指摘された孔子が打つ「磬」が重なります。モチベーションの弱さが現れてしまったのでしょうか。

 

切磋琢磨 

 大野選手の偉業は「古き良き柔道」というモチベーションとオリンピック2連覇という目標に結びつき、自分の理想に徹することができたために結果に結びついたのでしょうか。あくまでも真っ当なモチベーションは目標の力になるということなのでしょう。

 たとえば汚名返上もモチベーションの一種と呼んでいいのかもしれませんが、力強さに欠けていたのかもしれません。

 切磋琢磨、それは孤独の瞑想ではなく、群居して、朋友が相互に錬え合うことだと、孔安国はいっています。

 たとえそれが競い合う人であれ、かけがえないのない他者があってこそのことなのかもしれません。互いの存在を認めあうからこそ、奮い立つものがあるのでしょう。

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 切磋琢磨、『詩経』の「衛風」の「淇奥(きいく)」の第一章にある言葉から生まれたといわれます。

 彼の淇のかわの奥を瞻(み)れば

 緑の竹の猗猗(いい)とうつくし

 有にも匪(あざや)けき君子は

 切するが如く、磋するが如く

 琢するが如く、磨するが如し・・・

緑の竹藪のそばに立派な貴族が立っている。それは衛の名君武公だとされ、彼が人格修養につとめることを歌ったものと言われます。

この詩に出てくる四文字はすべて加工を示す動詞であり、骨は「切」、象牙は「磋」、玉は「琢」、石は「磨」といいます。道徳をいやがうえにもみがくという意味だそうです。

 この切磋琢磨は論語にも登場します。弟子の子貢は、諂いや驕りのないことを最高と考えていましたが、「可なり。未だ貧にして楽しみ、富みて礼を好む者には若(し)かざるなり」と孔子に教えられ、「学問の道には終わりがない」ことを悟って、この詩を引用したのだと伊藤仁斎はいっています。

 

孤高の柔道家

「不安でいっぱいの日々を昨年からずっと過ごしていた」と大野選手はそう口にしました。その邪心と葛藤し、試合でも理想に徹することだできての勝利だったのでしょうか。

 身上は「正しく組んで、正しく投げる柔道」。だが、結果を残せばその分だけ海外勢のマークは厳しくなった。対抗するため、オーソドックスな組み手ではなくても仕掛けられる技を磨いた。
理想は高い。本人の言う「古き良き柔道」を体現できたとは思っておらず「自分はまだまだ」。それでも、5年前と同様、優勝の瞬間も表情は崩さず、きれいな礼をして畳を下りた。その姿には発祥国日本の柔道家としての誇りが詰まっていた。(出所:JIJI.COM)

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 孤高の人のように振舞う大野選手ですが、実は誰よりも対戦相手やチームメイトのことを大切にすることができる人なのかもしれません。

 

「関連文書」

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 「参考文献」