子曰わく、年四十にして悪(にく)まる。其れ終わらんのみ。(「陽貨第十七」23)
(解説)
孔子の教え。「四十になって人に憎まれるようでは、もう終わっている。(論語 加地伸行)
不惑の四十。四十にして惑わず。
祖国を復興を決意した孔子は自信が揺るがず、もう惑うことがなくなったという。
「四十、五十にして聞こゆる無きは、斯れ亦畏るるに足らざるなり」(「子罕第九」23)。
歴史上の人物をみてみれば、名を成した人は、例外なしに四十までに注目すべき仕事を必ずしているという。名を残すことがなくても、人は自らの役割を果たせば、自分が存在する場において、他者から何らかの評価を得、それに気づけば自信になり、それがまた動機にもなるのだろう。
他者の存在に配慮し、筋違いな行ないがなければ、そうそう怨みを買うことはないものだ。
四十は人生のひとくぎり。
孔子は五十にして天命を知ったという。四十にして、自分が何を為すべきか、自分の役割を悟ったのだろう。
それまでの人生を棚卸してみれば、また違った自分に出会えることがあるのかもしれない。それまでの歩みを整理して、ストーリ立てて、自分自身を確かにするとき、ゆるぎない自信を得るときということなのだろう。自分自身を知れば、人から恨みなど買うはずもないものだ。
(参考文献)