子曰わく、我知る莫(な)きか、と。子貢(しこう)曰わく、何為(なんす)れぞ其れ子を知る莫し、と。子曰わく、天を怨(うら)みず、人を尤(とが)めず、下学(かがく)して上達す。我を知る者は其れ天か、と。(「憲問第十四」35)
(解説)
孔子が言った。「私の価値を知る者はいない」と。子貢は「どうして先生の価値を知る人は言えないと言えましょうや」と述べたところ、孔子はこう話した。「天が悪いのでもない。私の知識の学習に始まり、道徳の修養にまで至り、最善を尽くしてきた。私のことを最もよく知っているのは、天であろうぞ」と。(論語 加地伸行)
「述而第七」22で、孔子は「天 徳を予に生ぜり」という。
孔子のこの言葉を「天は私に徳を生みつけた。つまり、私が徳を備え道を説く素質を与えた。それは、天の私に与えた使命である」と桑原は読み、使命観への確信の表明であるといった。
「子罕第九」13では、子貢は、 「斯に美玉有らば、匱に韜みて諸れを蔵めんか、善賈を求めて諸れを沽らんか」といい、これに対して孔子は「之を沽らんか、之を沽らんか。我は賈を待つ者なり」と答えていた。
「美玉」は孔子とされ、「善賈(ぜんこ)」にはすぐれた君主との意味があるという。
この章を、孔子の仕官への熱意と、その底におそらくかすかにひそむ老齢にたっした孔子の一種のあせりがあるのではと桑原は指摘する。
孔子の揺れ動く感情なのだろうか。そこに人間孔子がいるのかもしれない。
(参考文献)