廏(うまや)焚(や)けたり。子 朝(ちょう)より退く。曰わく、人を傷つけたるか、と。馬を問わざりき。(「郷党第十」11)
(解説)
「孔子の邸の厩舎が焼けたことがあった。孔子が政庁より帰られたとき、「だれか怪我はしなかったか」とおたずねになった。しかし、馬のことは何もおたずねにならなかった。」(論語 加地伸行)
桑原の解説
孔子の家の馬小屋が火事で焼けた。孔子は朝廷から帰宅すると、まず「けが人はなかったか」と聞いただけで、馬のことは言わなかった。
この章は孔子の人間主義を端的に示していて面白いという。馬はどうでもいいというわけではないが、人間と動物の間に一線を画して、まず人間と考えるのが孔子の人間尊重の立場であり、この点、むしろ西洋風といえる。
ただ、「憲問第十四」34は、いささか気になるという。「驥(き)はその力を称せず。その徳を称するなり」と孔子はいっている。驥とは一日に千里を走る名馬だというが、それをほめるのは脚力ではなく、その徳である、とはどういうことか。馬にも道徳があるというのか。もしそうなら、道徳をもちうる馬が焼け死んでも平気だ、とするのは矛盾ではなかろうかという。
(参考文献)