「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【食らうとき語らず。寝ぬるに言わず】 Vol.242

 

斉すれば必ず食(し)を変え、居は必ず坐を遷(うつ)す。食は精を厭(さわ)めず、膾(かい)は細きを厭わず。食の饐(い)して餲(あい)し、魚の餒(たい)したるや肉の敗れたるは食(く) らわず。色の悪(あ)しきは食らわず。臭いの悪しきは食らわず。飪(じん)を失いたるは食らわず。時ならざるは食らわず。割くこと正しからざれば、食らわず。其の醤 を得ざれば食らわず。肉 多しと雖(いえど)も、食気(しき)に勝た使(し)めず。唯だ酒は量無けれども、乱に及ばず。沽酒(こしゅ)、市脯(しほ)は食らわず。薑(きよう)を撤せずして食らうも、多くは食らわず。公に祭れば肉を宿(とど)めず。祭肉(さいにく)は三日を出ださず。三日を出だせば、之を食らわず。食らうとき語らず。寝(い)ぬるに言わず。疏食(そし)、菜羮(さいこう)、瓜(うり)と雖も、祭れば必ず斉如(さいじょ)たり (「郷党第十」6)

 

   (解説)

「斉(ものいみ)して心身を浄めるとき、常食を必ず改め、常の居室も変え別室に移る。主食の穀類はそれほど精白でなくてもかまわないし、膾(なます)それほど細かくきざんだものでなくてもかまわなかった。飯が暑さで饐(す)えて味の悪くなったもの、魚肉の傷んだもの、獣肉の腐ったものは食べない。色の変わったものは食べない。臭いの悪いものは食べない。ころあいに煮ていないものは食べない。季節(旬)の物以外は食べない。料理法の異なったものは食べない。肉は適切な醬(つゆ)がないと食べない。肉は多くあっても、食べ過ぎたりはしない。酒は一定の分量を決めてはいなかったものの、適当にして、乱酔はしない。市販の酒や乾肉はのどを通さない。生薑(しょうが)は膳から下げさせないで食べるが、多くは食べない。公廟すなわち国君の祖廟(みたまや)における祭祀があり、その供物のお下がりをいただいたとき、帰宅後、祭肉はただちにいただいて翌日にもちこさない。家廟における祭祀の供物となった肉は、三日以内に処分する。三日を越えると食べない。食べているときは会話をしない。寝るときは黙って眠りにつく。粗末な飯、野菜だけの汁物、瓜といったものでも、それを供物として祭るときは、厳そかに敬まう。」論語 加地伸行

  

 この章は、全体として祭祀のときについて述べており、孔子の個人生活の様子とはしないと解するのが加地の立場。ただし、孔子の個人生活と解する立場もあるという。

 

 

 桑原は、 「食らうに語らず。寝ぬるに言わず」を解説する。

 昔の日本では、食事ないし睡眠は大切なことだから、それに専念すべきであって、ものをいってはならない、というあまりにも窮屈な戒律、そういう意味にとらえていたという。桑原も幼いころ、ごはんを食べながら、口にものを入れたままで、おしゃべりをしてはならない、ごはんは黙ってさっさと食べなさい、と年寄りにいわれた覚えがあるという。早飯、早ぐそなどというのを美徳とした武士の生活態度と関係があるのかもしれないが、現代でも日本人は、西洋人特にフランス人などに比べると食卓での会話がはるかに乏しく、食事の時間も実に短いのは、この章の影響がなお意識下に残っているのかもしれないという。

 徂徠はこの章を禁欲的によむことに反対し、これを合理化しようとして「語」とは「述而第七」20の場合と同じく、「誨言」つまり教訓的な話だとし、また、「言」とはこの場合政治について話すことであって、寝室では大切な政治の話をしないという意味にとっている。それなら賛成だと桑原はいう。

 この章を孔子の日常の生活態度ではなく、斉(ものいみ)のおりの態度を記したものととれば、理解できるという。

  

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(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

  
論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫