「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

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【君子は紺緅を以て飾らず。紅紫は以て褻服と為さず】 Vol.241

 

君子は紺緅(かんしゅう)を以て飾らず。紅紫(こうし)は以て褻服(せつふく)と為さず。暑に当たりては袗(ひとえ)にして絺綌(ちげき)もてす。必ず表(ひょう)して出(い)づ。緇衣(しい)には羔裘(こうきゅう)、素衣(そい)には麑裘(げいきゅう)。黄衣(こうい)には狐裘(こきゅう)。褻衣(せつい)は長く、右袂(ゆうべい)を短くす。必ず寝衣(しんい)有り、長さ一身有半(いっしんゆうはん)。狐狢(こかく)の厚き、以て居(お)る。喪を去りては佩(お)びざる所無し。帷裳(いしょう)に非(あら)ざれば、必ず之を殺(さい)す。羔裘(こうきゅう)玄冠(げんかん)して以て弔(ちょう)せず。吉月(きちげつ)には必ず朝服(ちょうふく)して朝(ちょう)す。斉すれば必ず明衣(めいい)有りて布す。 (郷党第十 五)

 

  (解説)

孔子は紺色や鳶色の布で縁どることをされなかった。また、紅色や紫色は普段着でもお作りならなかった。暑いころは、袗(ひとえ)であり、葛の布であった。しかし、室外や外出のときは、必ず上衣を召された。黒服のときはその上に黒羊の皮ごろも、白色の服のときはその上に小鹿の皮ごろも、黄色の服のときはその上に狐の皮ごろもを重ねておられた。普段着は長めに作っておられたが、右の袂は短めであった。必ず夜着を使われたが、身長の長さの1.5倍の長さがあった。家に居られるときは、狐や狢(むじな)の厚い皮衣を着ておられた。喪が明けると、ふだんどおりに帯に玉を佩(お)びられた。帷裳以外の裳では、縫ってつなぐ。黒色の皮ごろも、黒色の冠の姿で弔いにはいらっしゃらない。毎月の朔日(ついたち)には必ず朝服を着て登庁される。斉(ものいみ)のときは沐浴して身を浄め、清潔な衣を身に着けられるが、その材料は布で作られている。論語 加地伸行

  

 

この章は孔子の講釈であって、孔子の実際行動の記録ではないとする解釈もあるそうだ。 

 

(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

  
論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫
 

  

 
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