圭(けい)を執(と)れば、鞠躬如(きくきゅうじょ)として、勝(た)えざるが如くす。上がるときは揖(ゆう)するが如く、下がるときは授けらるるが如し。勃如(ぼつじょ)として、戦色あり。足は蹜蹜(しゅくしゅく)として、循(したが)うこと有るが如し。享礼(きょうれい)には容色有り。私に覿(まみ)ゆるには、愉愉如(ゆゆじょ)たり。 (郷党第十 四)
(解説)
「孔子が圭をお持ちになるとき、身体を曲げられ、その圭の重さに耐えられないというほどの感じで謹みを表された。圭が上がるときは、揖するときに上がるくらいであり、下がるときは、物を渡すぐらいの高さであった。顔つきが変わり、畏れ敬い戦(おのの)くような感じであった。歩まれるとき、足は小股であり、摺り足であった。享礼になると、和らいだ感じとなられ、私覿(してき)のときは、くつろいだ楽しげな様子になられた。」(論語 加地伸行)
「圭」とは、諸侯が王から国に封ぜられるとき、そのしるしとして与えられるもの。加地は、主君の代理としてその圭を預かり、君命で他国を訪問するときの様子として開設する。
「勃如」とは急に顔つきが変わること、「蹜蹜」は両手で圭を持っているので、裳(はかま)のすそを手でつまんでかきあげて歩くことができないので、大股であるくと、すそを踏んで顚倒しかねないので、小股で歩く、そのさまを表すという。それは同時に謹んでいることにもなるという。「循」は、足を進めるとき、指を含む足裏の前半は挙がるものの、後半の踵は挙げずに地上を曳く感じで進むこと。そのときの、地に循(したが)う感じを指すという。いわゆる摺り足。
「私覿」とは私の立場で見(まみ)えることをいう。
(参考文献)