子曰わく、麻冕(まべん)は礼なり。今や純(いと)は倹(けん)なれば、吾は衆に従わん。下に拝するは、礼なり。今 上に拝するは、泰(おごる)なり。衆に違(たが)うと雖(いえど)も、吾は下に従わん。(「子罕第九」3)
(解説)
「孔子の教え。麻冕を冠(かぶ)るのが、正礼の規定である。しかし、今は、絹糸製の冕が安価であるので、私も衆人と同じようにしよう。臣は堂から下って拝礼するのが正礼である。ところが、今は、ただちに堂に上って拝礼しているが、それは驕りである。私は衆人と違うとはいえ、堂下から拝礼することを守る。」(論語 加地伸行)
「述而第七」35 では、「奢(しゃ)なれば則ち不孫(ふそん)、倹なれば則ち固。その不孫ならんよりは、寧(むし)ろ固なれ」といい、驕りは不遜になるから、自分だけの問題である「固(頑固)」のほがまだましだいう。
そんな孔子の心構えをあらわした章なのだろうか。
(参考文献)