「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【以て六尺の孤を託すべく、以て百里の命を寄すべく、大節に臨みて奪う可からず】 Vol.193

 

 曾子曰わく、以て六尺(りくせき)の孤を託すべく、以て百里の命を寄すべく、大節(たいせつ)に臨みて奪う可(べ)からず。君子 人か、君子 人なり。(「泰伯第八」6)

  

(解説)

曾子の教え。幼少の君主を委ね託することができたり、また大国の政治を担当させることができたり、国家の大事を前にして確乎たる信念、節操を持ち続けることができるとする。このような人が教養人であろうか、教養人である。」論語 加地伸行

  

 桑原の解説。

 「六尺」とは背の高さをあらわし、当時の一尺はおおよそ23cmにあたるので、六尺は1m38ほどになり、未成年の孤児のことだが、こここでは幼少の君主を指す。「百里」とは百里四方の諸侯の国、「命」はまつりごと、「大節」は、国家的な大事件。

 「君子 人」とは見慣れない表現だが、おそらく生まれつきの貴族としての君子ではなく、その出自がどうであれ、その徳行によって君子と当然呼ばれるべき立派な人間、ということであろう。

 

 

 曾子は士の生き方について述べることが多く、その説は日本の武士に大きな影響を与えた。

 加藤清正はかつて前田利家からこの章について話され、なんのことわからなかったが、晩年「論語」を勉強してその意を悟り、太閤なき今の時こそこの章を深く考えねばならぬ、と覚悟した。そして、慶長十六年三月、すでに権力を握った徳川家康が京都の二条城に豊臣秀頼を招致したさい、清正は太閤にもらった短刀を懐中してこれを護衛し、無事会見を終えて大阪へ戻る船中、今日ようやく太閤の厚恩の万分の一に報いることができた、と泣いたという。文章が人間行動を規制する一例であると桑原はいう。

 

 

 

曾子」、姓は曾、名は参。字名は子與。親孝行で有名だという。孔子より46歳年少で門下の年少グループに属したが、孔子の死後やがてその学団の長となって、儒教の正統を伝えた人といわれる。曾子から子思(しし:孔子の孫)へ、さらに性善説孟子へと伝わったといわれる。

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(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

  
論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫