「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【鳥の将に死なんとするや、其の鳴くや哀し。人の将に死なんとするや、其の言や善し】 Vol.191

 

 曾子 疾(やまい)有り。孟敬子(もうけいし)之を問う。 曾子言う。曰わく、鳥の将(まさ)に死なんとするや、其の鳴くや哀し。人の将に死なんとするや、其の言や善し。君子 道に貴ぶ所の者 三あり。容貌を動かしては、斯(すなわ)ち暴慢に遠ざかる。顔色を正しくしては、斯ち信に近づく。辞気を出だしては、斯ち鄙倍(ひばい)に遠ざかる。籩豆(へんとう)の事は則ち有司(ゆうし)存す。(「泰伯第八」4)

  

(解説)

曾子が重病になられた。孟敬殿が見舞いに来られた。曾子がこうおっしゃられた。「鳥が死を迎えるとき、その絶命の鳴き声はまことに哀しい。人とて同じで、臨終のことばに心がこもっています。教養人は人の道において貴ぶものが三つあります。容貌を整えなされますならば、人はあなどったりなどいたしませぬ。顔色を正しくなされますならば、人はだまそうなどとしませぬ。正しいことばづかいをなされますならば、卑しいことばは入りませぬ。祭器の並べかたなどは、専門の役」は人がいるのです」と。」論語 加地伸行

 

「孟敬子」、孟武伯の子で、魯の国の重臣

「鄙倍」は「鄙背」に同じで、鄙(いや)しく、正しい道理に背くこと

「籩豆」は、祭式に使う礼器。籩は竹で、豆は木で作られ、供物を入れる。身分によって用いる数が異なるという。天子は26、魯国の君主なら16、孟敬子のような大夫級の重臣なら8という。
 

 桑原の解説。

 桑原は、君子(この場合は大臣などの高位の権力者)にとって礼とは瑣末事ではなく、高位者としての身の振る舞いにあると解する。

 孔門は一般に礼を重視したけれども、ここでは孟敬子という特定の高官への個人的アドバイスの面が多い。おそらくこの高官は礼を尊んではいたが、こまかなことにばかり気をつかい、一国の大臣としての挙動において欠けるものがあったので、そこを注意したのであろうと桑原はいう。

孔子から時代が下るにつれて、儒家の礼法に対する重視が強まったが、曾子などはその形式化を促進したように思われるという。ここもそのあらわれではなかろうかと指摘する。

 

 

曾子」、姓は曾、名は参。字名は子與。親孝行で有名だという。孔子より46歳年少で門下の年少グループに属したが、孔子の死後やがてその学団の長となって、儒教の正統を伝えた人といわれる。曾子から子思(しし:孔子の孫)へ、さらに孟子へと伝わったといわれる。

  

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 この章は、曾子の臨終を大臣である「孟敬子」が見舞ったときに、曾子が遺訓としたのであるという。

「鳥の将に死なんとするや、其の鳴くや哀し。人の将に死なんとするや、其の言や善し」

とは当時のことわざ、絶命前の鳥の鳴き方は哀調を帯び、臨終の人間の発言は誠実だという古語だと桑原は言う。美しい言葉だが、納得できないともいう。

 

 

 鳥が老いて自然死するときは、鳴かないであろう、「死」を殺されるという意味にとれば、生に執着する鳥が真剣に哀号することは確かだが、臨終の人間が必ずしも誠実な発言をするとは限るまいという。

 もっとも最後の瞬間いかにもと思わせる名言を吐いた例は多く、石田三成が斬られる日の朝、柿を供せられたさい、おなかに悪いをいって拒否したことを桑原は一例にあげる。「死して後已む」の精神だという。

 このことわざの妥当性は、私たちが他人の言動を評していうのであって、自分のこれからの発言に重みをつけるために使うというのは、心理的に合点がいかないと桑原はいう。

 

(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

  
論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫