「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【爾を上下の神祇に禱る、と。子曰わく、丘の禱るや久し】 Vol.184

 

 子 疾(やまい)病(あつ)し。子路 禱(いの)らんことを請う。子曰わく、諸(こ)れ有りや、と。子路 対(こた)えて曰わく、之れ有り。誄(るい)に曰わく、爾(なんじ)を上下の神祇(じんぎ)に禱る、と。子曰わく、丘(きゅう)の禱るや久し、と。(「述而第七」34)

  

(解説)

孔子の病気が重くなられた。子路はその平癒の祈願を願い出た。孔子は、「特別な祈願があるのか」とおたずねになった。すると子路はこうお答えした。「ございます。祈願のことばはこうです。汝を天地の神々の願いまつる」と。孔子はおっしゃった。「その禱りなら、私はもうずっと続けている」と」論語 加地伸行

  

 桑原の解説。

 「疾」はやまいのこと。「病」とは危篤状態を指す。孔子が死ぬ前年に、子路は衛の国で討ち死にしている。したがってこの章は、孔子の臨終ではなく、それ以前に重病になったときの話であろうという。

 孔子が重病になったので、子路がおそらくお祓いをしてもらおうと思ったが、独断でして、鬼神嫌いの先生のお気にさわっては、と思い、うかがいを立てたのであるという。孔子はそういう先例があるかと聞く。子路は答えて、それはあります。「誄」という文献の中に、「爾を上下の神祇に禱る」という言葉がございます。おそらく天神、地祇にお禱りして、罪を許してもらうということであろう。

 自分は今さら、鬼神に許してもらわねばならない過ちを犯していないし、また、天命を受けているから、簡単に死ぬことはない、また死ぬべき時が来れば、素直に死ぬだけだ。だから、平素から禱りを続けてきたのと同じではないか、といって、子路の好意を謝したのであろうという。

 孔子は諸神の力を否定する無神論者ではないが、なるべく合理化したい気持ちが常にあったのであろう。

 

 

「鬼神を敬して之れを遠ざく」と、「雍也第六」22で語っていた孔子

「鬼神はあらたかなものだから敬意をはらうけれども、あまり密着しないということ」。

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 師匠思いの子路の思いついたのは迷信めいたまじないの類であろうと桑原は解説する。

 

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(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

  
論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫